1章 巫山之夢《2》


 刀を受け取った後、三人は「酒が駄目ならせめて好きな物を食べさせろ」というあさきの主張を受け入れる形で「葱屋」という変わった看板を掲げる料理屋へ足を運んだ。
 文字通り葱料理が中心の店で、東京では珍しく京都が原産の九条葱を扱っている。
 九条葱には浅黄種という細葱の品種と、黒種という太葱の品種があり、一般的に九条葱と言えば太い黒種の方を指すのだが、この店は旬になれば浅黄種も扱うという葱好きにとってはたまらない店だ。
 まだ各地で桜が咲くこの時期では浅黄種の取り扱いはない。しかし、周年栽培である黒種も絶品で、今日も三人の目の前には一人一皿、表面が真っ黒に焦げた焼き葱が並べられている。
 箸を器用に扱い、黒焦げになった表面を剥がす榊と根夢の隣で、あさきは手づかみでそれを剥がす。
「それ、熱くないですかあさきさん」
「いや、別に。俺は手の皮が厚いからな」
「面の皮の間違いでしょう」
 澄ました顔で憎まれ口を叩く榊に、あさきはフンと鼻を鳴らす。
「それにしても、ちょっと面白いですよね」
 熱くなった葱の芯が急に飛び込まないよう、慎重に口に運びながら、根夢があさきをチラリと見上げる。
「何が」
 熱さなど知った事かという様子で、一口で葱を放り込んだあさきは、咀嚼しながら返事をする。
「葱が好物だなんて。あさきさんって、どう見ても肉食じゃないですか……鬼ですし」
 独り言の様に低い声で最後の言葉を繋げる。
 少しずつ時代が変わってきたとは言え、妖物の頂点に立つような力を持つ〝鬼〟がこの場に居ると判れば騒ぎになる。まして式鬼証である刺青がされていないのであれば、何も知らない者が見たら〝野良の危険な妖物〟とさして変わらない。
「まあ、否定はしねえけど、美味いもんは美味いんだ。ちゃんとこうして野菜も食べてるから、俺は丈夫なんだよ」
 そう言って最後の一本の口に放り込む。
「君が丈夫なのは葱のおかげではなく、単純に種の問題だよ」
「そういう普通の突っ込みいはらねーって」
 お品書きに目を落としたままの榊に不満げな声をあげる。
「それで、あの話は許可、降りたのかよ」
 あさきは店員を呼ぶために手を上げながら、榊を一瞥し、問いかける。
「申請に行ったのは今朝だ。そんなに直ぐに結果は出ないさ……が、概ね問題ないはずだよ」
 そのやりとりに、根夢は不思議そうな顔で二人に視線を送る。
 そんな根夢に、榊は真っ直ぐ視線を返した。
「最近往診している患者さんだけどね、緊急性はないものの、全面解決には妖物の討伐が必要になりそうなんだよ。私の見込みでは、大して強い妖物ではないし、症状から言っても、根夢の得意な夢渡りとも相性がいい……。だから、今朝本部に根夢に仕事を回す許可を申請しにいったんだ。……私は討伐からは引退してるからね」
「お前の初陣って訳だな」
 あさきが楽しそうに笑う。
「やれるかな」
 続いて榊が眼鏡を直しながら根夢に問いかける。
「はい」
 根夢は頬を僅かに上気させ真っ直ぐ二人を見据えて返事をした。
 
   ・・※・※・・
 
「ごめんください、薬師の宮ノ内です」
 中川という表札が掛かった家の前で、引き戸越しに榊が声を張る。
 暫くすると、目の下に濃いクマを拵えた、榊よりは若そうだがまもなく初老の年頃であろう男性が、ボサボサの頭を治しながら顔を出した。
「お加減は……よろしくないですね」
「ああ……いや、このクマはやっこさんのせいじゃないんですわ。ちょっと締め切りが近くてね。おや、そちらさんは?」
「以前お話しした友人の忘れ形見です。めでたく薬師になりましたので、ご挨拶がてら、中川さんの治療も手伝ってもらおうかと。こう見えて討伐も出来るので、私なんかより強いんですよ。……それはそうと、お仕事は結構ですが、睡眠を削るのは身体に毒ですと言ったでしょう」
 榊にたしなめられ、バツが悪そうに男は頭を掻いた。
 そんな二人の間を繕うように、根夢は「初めまして」と挨拶をしながら小さく頭を下げる。
「成る程なぁ、坊ちゃんが噂の……俺は中川幸之助だ、しがない作家だよ。よろしくな。さて、まあ立ち話もなんだ、上がってくださいよ」
 そういって男は室内に戻っていき、三人はその後に続いた。
 
   ・・※・※・・
 
 居間らしき部屋に入ると、そこは所狭しと積み上げられた本で床が埋め尽くされていた。
 そんな場所で辛うじて大人四人が座るくらいの空間を作り、そろって座り込む。
 榊は首にかけていた片眼鏡を、普段かけている丸眼鏡の右側に重ねて着けた。じっと黙ったまま中川を見るが、暫くすると小さく首を振り、片眼鏡を外す。
「変わらず……いえ、護符の効果でしょう、寧ろヤミは微弱になってますね。私でも、この眼鏡が無ければ虚蝶がぼやけてしまうくらいには……」
 〝ヤミ〟それは妖物の纏う瘴気〝闇〟に当てられると発生する〝病み〟それらを総称して〝ヤミ〟と呼んでいる。
 ヤミ自体はその性質によって形状は多種多様だが、それを餌に集まる微弱な妖物がいる。
 それは青白く発光し、蝶のような形をしていた。
 薬師たちは言う。
 胡蝶にあらず、青く虚に飛ぶそれの名は〝虚蝶〟なり――と。 
 虚蝶を目視出来るのは元々そういう視える体質の者か、熟練の薬師くらいなものだ。
 そういった元々微弱な妖物は、餌であるヤミが少なければ当然弱ってしまう。弱った妖物は動きも緩慢になり、姿もぼんやりと輪郭を失っていく。そうなってしまうと、薬師であっても補助道具無くしては目視出来ない事もある。
「じゃあ、もう大丈夫なんじゃないのか?」
「いえ、先程も言った通り、この家の各所に貼らせていただいた退魔用の護符が効いているだけです。集まっていた弱い妖物も、護符のせいで外に逃げることも出来ず、そのまま弱っただけですね。締め切り間近で、出かけてないのでしょう? 餌が途絶えたんですよ。それと先日お出しした生気を補う薬、裨気湯ひきとうも、中川さん自身の抵抗力を高めているのに功を成しています。ですが、根本的な原因を潰さなければまたヤミは寄ってきますよ」
「そうか」
 男はめんどくさそうに頭を掻く。
「なんとかならないのかね。護符のおかげってのはありがたいが、要するにそりゃ、ここ以外じゃうっかり寝られないって事だろう? 色街に取材にもいけなねぇや」
「そうでしょうが、恐らく今回の原因はその色街ですからね、少し控えてください」
 男が不服そうに溜め息をつく。
 根夢が榊に視線を投げると榊は「ああ」と小さく声を上げ、根夢に向き直る。
「中川さんは、色街の女たちを題材にした小説を書いている方なんだ。その筋では結構評判なんだけど、些か色っぽい話ばかりだからねぇ……」
「なんだい旦那、坊ちゃんだってとっくに元服は過ぎてんだろ?」
 男と榊のやりとりに、根夢は苦笑いを浮かべながら口を開く。
「はい、ちょっと遅い元服でしたけど、二年前に。ただ榊さんも、こっちのあさきさんも妙に過保護でなんというか……」
「はは~ん、そりゃあいけないな。ほれ、これ一冊やるからその世界、ちっと覗いてみな」
 そういって男が根夢に一冊の本を渡した。どうやらこの男の著書らしい。
 榊はそれを止めるわけでもなく呆れた様に眺め、あさきは笑いをこらえるような顔で口を歪ませていた。
「それはさておき中川さん。原因を突き止めるために、今日は一つお願いがあって」
 二人のやり取りに小さく咳払いをして、榊が口をはさむ。
「おっと脱線しすぎたね、解決するならなんでも協力するが、なんだい?」
「根夢」
 榊は根夢に目配せをして後の説明を促すと、正座したまま少し後ろにずり下がる。
 代わりに根夢が男の前ににじり出た。
「今回の件、僕に本格的な診察をさせていただけませんか?」
「おう、構わないが……なんだい、もしかして榊さんじゃ出来ない事が出来るのかい?」
 根夢が小さく頷く。
「一通りの話は聞きました。夢に絶世の美女が現れるとか」
「ああそうだ。随分色街を渡り歩いたが、そんな俺でも今まで見た事のない、俺好みの美女が夢に現れて接待しくれるんだ。夢を見てる間はそりゃ極楽なんだが……その後が悪くてな。目が覚めると怠いわ、熱は出るわ、酷い日は眩暈と吐き気で布団から出られない事もあったな」
「典型的なヤミの影響ですね」
「だろ? 俺も小説家として、昔は妖茶屋を題材に書いたこともあったんで、そこら辺は一応知ってはいたんだ。なもんで、榊先生に世話になることにしたんだが……」
「念のためお伺いしますが、色街で贔屓にしている方とか、逆に執着されていそうな相手とか、心当たりはありませんか?」
「んー……いや、まあご贔屓って言うのか、小説の題材にした遊女なんてのはそれなりにいるが……執着されそうってのはなぁ、何とも言えねぇなぁ。なんたって遊女ってのは、惚れてない相手にも惚れた目をするもんなんだ。ただ自慢じゃないが、俺は一度顔を見たら忘れない性質なんでね、誰だろうと顔を見りゃ判る筈なんだよなぁ」
「なるほど。それなのに、夢枕の美女は見覚えが無い……そうなると、原因の妖物に辿りつくのは容易ではないですね」
「っていうのが榊さんの判断だ。だから調査する間、結界になるように護符をいくつか貰って、この居間と、他は寝室と書斎に貼ってある」
 根夢は男の話に相槌をうちながら聞く。
「そうですか。ではここ数日、眠った時の夢はどうですか?」
「どうって言ってもな……原稿続きで、そもそもまともに寝られてないし……」
 男は頭を掻きながら考え込む。
「ああ、だが昨夜原稿中に居眠りした時に変な夢をみたな」
 男が思い出したというようにハッと顔を上げると、根夢は興味深げに身を乗り出した。
「そうだ、あの女が来たんだ。来たには来たんだが、玄関先で困った様にうろうろして、俺に気付くと一瞬嬉しそうな顔で近寄ろうとするんだが、廊下まで上がった所でまた沈んだ顔になってな。そのまま声をかける間もなく帰っていった」
 根夢が部屋に張り付けられた護符を見上げる。
「榊さんの護符が効いている証拠ですね。恐らくその妖物は貴方が眠りについたことに気付き、訪ねてきた。しかし護符のせいで中に入れず、諦めたのでしょう」
「なんだ、可哀想な事したな……」
「駄目ですよ、それが夢魔の――今回みたいに夢に現れて害をなす妖物達の手なんですから」
「そうか、まあそうだな……。おっそうだ、今言った〝手〟ってやつだがね、〝手管〟って言い方をすると色っぽくていいぞ」
「中川さん」
 妙に生き生きと話す男へ、榊が間髪入れずに口をはさむ。
「いやいや悪いね、陰間をやっててもおかしくないくらい可愛い坊ちゃんだからついね」
「陰間……ですか」
「おっと、知らないかい。それならこの本――」
「中川さん」
 顔色を変えず、もう一度口をはさむ榊の後ろで、あさきが片眉を吊り上げる。
 そんな二人の様子に、根夢は苦笑いを浮かべた。
「大丈夫です、そのくらいの用語は知ってます。が……せっかくなので勉強させていただきます」
 そう言って根夢は男から、また一冊本を受け取った。
「それで、ですね。夢の中にしか現れないとなると、現状では中川さんしか相手の顔が判りません。でも中川さんも記憶にない顔と言う事なので、僕も一度夢に入って、その女性が顔を確認させてもらえないかと」
「へ?」
 根夢の言葉に男が不思議そうに首をかしげる。
「夢渡り――夢に入るんです。僕が、貴方の」
「そんなこと出来るのかい」
 根夢は姿勢を正し、真っ直ぐ男に向き直って口を開いた。
「はい。それが、僕の得意な診療術です」
 
 ――――続く

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