1章 巫山之夢《7》


言わず語らず我が心 乱れし髪の乱るゝも 
つれなきは唯うつり気な どうでも男は悪性者あくしょうもの
さくらさくらとうたわれて いうてたもとのわけ二つ 
勤めさえただうかうかと どうでも女子おなごは悪性者
都育ちは蓮葉はすはなものじゃえ
 
 街を一周する高い塀、その塀を囲む堀には底が見えるほど透き通った水が流れており、色とりどりの鯉が放たれ、来るものの目を喜ばせている。塀の真ん中には橋がかけられており、その先には大きな木戸の門がそびえたっていた。
 大門を抜けると目に飛び込んでくるのは、広い通りの中央を締める桜並木。その桜を挟むようにして立ち並ぶ長屋では、紅殻格子の向こうで煌びやかな着物姿の女達が艶めいた笑みを浮かべて手招きをする。
 東京が江戸と呼ばれていた時代、江戸市街に大きな被害を出した大火事「明暦の大火」で日本橋付近にあった吉原は焼きだされた。後に浅草に移転して、優に二百年を超えたが、江戸が東京と名を変えても尚、この街は江戸の景観を保っていた。
 もちろん今の時代に合わせて建材や設備は変化しているが、外観や街並みは江戸の特に元禄と呼ばれた華やかな時代の色彩で統一されている。
 遊郭と言えば、一見華やかな世界の裏で、売られた少女は籠の鳥、大門から外に出る事は叶わず、悪辣な労働環境下で身体を売り、非業の死を遂げる……等という話がいくつもある。
 しかしそれも今は昔の話か、数は少ないものの大門を一人で出ていく遊女も見受けられ、それを咎める者も居ない。
 大門の外、橋の袂に植えられた見返り柳と呼ばれる年を重ねた柳の木は、見送りや待ち合わせ等に使われているらしく、遊女と客らしき男女が談笑している姿も見受けられる。
 舟を降りた三人は榊を真ん中に、そんな吉原の入口「吉原大門」の前で立ち止まった。
「……じゃ、俺はここで」
 大門を前にあさきはそう言って踵を返す。
「え、えっ、何ですか?」
「買い物でもしてくるから、終わったら蝶紙でも飛ばしてくれ」
 驚く根夢に振り返る事無く後ろ手で手を振り、あさきは人混みに紛れて去ってしまった。
 唖然としたままその背中を見送った根夢は、少し哀し気な目で榊を振り返る。
「根夢、大門をよく見てごらん」
 そう言われ、根夢は門をじっと見つめる。しかし榊の意図は判らず不思議そうに眉間にしわを寄せた。
「大門そのものじゃないよ。そうだねぇ間って言うべきかな」
 その言葉に根夢はもう一度、注意深く大門を観察する。
 すると大門を通る人々は皆、その一瞬だけ輪郭がぼやける事に気付く。
 さらに注意深くその空間を観察すると、僅かではあるが水の波紋の様に空気が揺らいでいるのが見えた。
「結界……?」
「よし、ちゃんと見えたようだね。そう、あれは妖物避けの結界だ。式鬼の登録をしていない妖物は通れなようになっているんだよ。本当は門だけでなく、吉原一帯を囲んでいるんだが、目に見えるとしたら門のところくらいだろう? ……色街は、人の愛や欲を商売にしている場所だ。どんなに気をつけたって、よからぬ者からの標的になりやすい。それに夜中も営業しているからね、色んな意味で強固な警備が必要なんだよ」
「ああ、それであさきさん……」
「そう。尤も、あさきくらいの力があればこの程度の結界を破るなんて容易だろうけれどね。そんな事をすれば一大事だ。そこまでして一緒に行く理由はないだろう? ……さて、あまりあさきを待たせるのも可哀想だ、早いところ用事をすませてしまおう」
 そう言うと、榊は慣れた様子で大門を通り抜けていき、根夢もその後に続く。 
 大門を抜け、満開の桜を横目に二人は歩いて行く。客引きを体よくかわし、区画の一番奥まで来ると、一風変わった茶屋の前で止まった。
 赤い提灯を軒先に並べている一般的な茶屋が並ぶ中、その茶屋の軒先に提げられた提灯は紫で怪しい光を放ち、紅殻格子に至っては黒漆で塗りあげられ、まるで濡れた様に艶めいていた。
 〝妖物茶屋 繁獄楼はんごくろう
 そんな随分と物騒な看板を掲げる茶屋の暖簾を、榊は躊躇いもなく潜っていった。
 その後ろを恐る恐る根夢はついて行く。しかし、独特な外観とは裏腹に、内装はいたって普通の茶屋といった様子で、唯一変わった所と言えば、給仕たちが皆、額に角が生えていたり、目が一つだったりという風変わりな容姿、つまり妖物であるという事くらいだった。
 拍子抜けしたように立ち尽くす根夢に榊が何か言おうとするが、色街の給仕が来客を放っておくはずもなく、二人はあれよあれよのうちに、こじんまりとした個室に案内されてしまった。
 二人が席につくと、案内をしてくれた給仕が細長い指をピタリと揃え、手をついてお辞儀をする。
「妖物茶屋繁獄楼へようこそ、おいでなんし。主さんらは、お初でありんす?」
 独特の言い回しだが、どこか心地よい音色の声だ。
 顔は一見人間と変わらぬ、美しい娘といった容姿だが、髪は風も無いのにフワフワと揺れ動き不思議な光景だった。
「ああ、君は初顔さんかな。つい釣られて上がってしまったけれど、私はたまもの馴染みで宮ノ内榊という者でね、急に来てしまって申し訳ないのだが、今彼女は空いているだろうか……」
 榊の言葉に、女はハッと目を見開くと慌てた様子で頭を下げた。
「ごめんなんし、わっちは一昨日入ったばっかりで、大変失礼を……どうぞこのまま、お待ちなんし」
 そう言って女は、その不思議な髪を漂わせながら部屋を出て行った。部屋を出ていく刹那、髪の間から大きな口がちらりと覗いた。
 榊と二人になり、ようやく落ち着いたのか、根夢は大きく息を吐く。
「さっきの彼女は二口女だね……驚いたかい?」
「ええ……あ、いえ、彼女にというか、もう街も店も何もかも刺激的すぎて」
「まあ、そうだろうね。でも安心しなさい、大昔と違って今の吉原は無理に客を引いたり、人攫いが出たりなんて事はないから」
 そんな会話をしながら二人は出された茶を啜る。
 手持ち無沙汰になった根夢は「お品書き」と書かれた冊子を手にとり、表紙をめくる。最初の頁には「当店のお約束事」と書かれていた。
 
一、床入れは、安全の為お食事を済ませた後のご案内となります。
二、健康を害する恐れがありますので、床入れのご利用は心身ともに健康な方に限定させていただきます。
三、床入れ対応不可の給仕もおります。詳しくは別紙をご覧ください。
 
「不思議かい?」 
 注意書きを何度も読んでいた根夢に榊が声をかけた。
「あ、はい。なんというか……随分、お客さんの健康面を気にするんだなって」
「そりゃあね。妖物と床入れをするというのは精力どころか、生気まで持っていかれるという事だからね、万が一が起きたら事件になってしまうだろう? ここは妖物が人間を食べるための罠ではなく、きちんと認可も下りているお店だからね」
「榊さま、お話中のところお邪魔いたしいす。たまもでござんす」
 不意に障子の向こうから、凛と響く声が聞こえてきた。
「ああ、急に来てしまってすまないね」
 そう言いながら榊が障子を開けると女が一人、正座で手をつき頭を下げていた。
 結い上げた金色の髪には髪と同じ色をした大きな三角の耳、そして先程の給仕とは比べ物にならないくらい豪華な紫の着物を纏い、裾からは金色の尻尾が五本覗いている。
 背中が見えそうなくらい抜かれた衣紋。そこから覗く肌に塗られた白粉は、首までムラなく陶器の様にこっくりと白く塗りあげられている。
 首の後ろに入れられた式鬼登録の刺青は、白粉のせいで随分と色が薄く見える。しかし、その薄さが妙な色気を放っていた。
 障子が開いたことに気付くと、女はゆっくりと顔を上げる。
 その顔は透き通るように白いが首に比べると白粉はごく薄く、頬に刺している仄かな赤みは化粧のせいではないようだ。
 榊と目が合うと、愛嬌紅がひかれた目じりを下げ、その女は愛くるしい笑みを浮かべた。
「そんな、主さんらにお会いできるなら、わちきはいつだって幸せでありんす」
「あはは……いや、良いよいつも通りで。こっちのこはお客じゃないんだ。前にも話しただろう? このこが例のこだよ」
 榊の言葉を聞くと、女が頬を膨らませわざと不機嫌そうな顔を作った。
「もうっ、いけず。第一印象くらいは花魁らしくしようとしてるんだからほおっておいて頂戴な」
 そう言い放つと女はそそくさと部屋に上がり込み障子をそっと閉め、根夢の隣に座る。
「根夢君、だったけ。わちきはたまも……ふふ、玉藻前って言った方がわかるかしら? ここ繁獄楼一番の花魁兼、経営者なの。よろしくね」
 僅かに玉虫色を放つ艶紅を引いた女の唇が、根夢の耳元で怪し気に弧を描いた。
 
 
 ―――続く

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