1章 巫山之夢《9》


「根夢君、夜鷹よたかって判るかしら」
「えーと、認可が下りていない、言わば違法の遊女ですよね」
「違法、そうね……一口で言ってしまえばそうなるわね」
 根夢の言葉に、たまもは少し寂し気に笑って見せた。
「すみません、他に良い言葉が見つからなくて」
 申し訳なさそうに根夢が俯くと、たまもは小さく首を横に振る。
「いいえ、間違ってはいないから仕方ないわ……でもそうね、あそこにいるこは、ここ吉原にすら来られない、止むに止まれぬ事情を抱えている娘が多いって事だけは判ってあげて」
「止むに止まれぬ……」
 難しい顔でたまもの言葉をなぞる根夢を横目に、たまもは一服煙をふかす。
「そう。色を売る商売なんて、進んでやりたい娘は決して多くは居ない。けれど、それでも認可が下りている以上、吉原は雇うとなればそれなりに条件は厳しいの。器量よしはもちろんだけれど、どんなに見目麗しくても人に伝染するような持病はもっての外、集団生活になるからそれなりに自分の身体を面倒みられるこじゃないとダメ。……意味、判るかしら」
「……」
 根夢が答えあぐねていると、たまもはあえて真っ直ぐ寝夢を見据えた。
「要するに、普段の生活で身体機能的に手助けを必要とするこは駄目って事よ」
「はい」
「厳しい世界なのよ、こう見えて。それでね、千里眼で探した娘だけれど――」
 たまもは煙管を袖にしまいながら言葉を続ける。
「あのこに吉原は無理だわ」
「そうなんですか」
「器量がちょっとね……中川さんが言うような絶世の美女には程遠いわ」
 顔色一つ変えずにさらっと言い放ったたまもに、根夢は目を丸くする。
 そんな様子の根夢にたまもは困ったように眉を下げた。
「そんな顔しないで頂戴。仕方ないでしょう。人の好みはそれぞれだけれど、一夜の夢を売ってそれなりに高いお代を頂くのだから最低限ってものがあるのよ」
「あ、はい。まあそうですよね」
 たまもは両手を袖に入れて腕を組むと、考え込むように小さく唸る。
「それで彼女の妖物としての力量だけれど……実はね、妙な気配は確かに感じるけれど、この娘自体は妖物ではないみたいなの」
「え、そんなまさか。だって、結界には入って来られませんでしたし、中川さんの症状だって……」
「そうなのよ。でも妖物茶屋はうちだけだし、もしうちに面接でもしに来た事があるのなら、私も覚えているはずなのだけれど、記憶にないわ。……ねえ、夢渡りで見た時どんな様子だったか、もう少し詳しく思い出せるかしら」
「詳しく……ですか」
「さっきの話では〝あさきに似ていた〟って言ってたけれど、あさきの顔をしていたとは言わなかったわよね。どうしてかしら。性別が違うから?」
「性別が……それはあると思いますが、言われてみれば何か……」
 根夢は口に手をあて、暫く考え込んでいていたが、ふと顔を上げる。
「目……」
「目?」
 根夢の言葉に、たまもは興味深げに腰を浮かす。
「目つきが、あさきさんじゃなかった気がします。あさきさんより黒目がちで、くりっとして可愛らしいというか」
「そう。……目に関しては、本当にそれだけ?」
 たまもは座り直すと、袖から煙管を取り出し、薄く笑いながら煙を吸い込む。
「どういう事でしょう」
 吸い込んだ煙をゆっくり満足げに吐き出し、たまもは口を開く。
「何か、違和感は無かった?」
「……あ、視線が合わなかったような……もしかして、見えていないんでしょうか」
 根夢の疑問に答えるように、小さく頷く。
「ええ……いえ、完全に見えないというほどでは無さそうなのだけれど……となると、そうね……やっぱりあの鏡かしら……」
「鏡ですか」
「そう。鏡って言うのはね、真実を映しているようで案外そうでもないのよ」
 そう言いながらたまもが悪戯っぽく笑う。
「妖物が幻覚を見せる……とかですか?」
「いいえ、妖物が関わっていなくてもよ。鏡に自らを映すというのは、自らと対話するのと同じなの。つまりね、自らに暗示をかけるにはこれ以上ない道具なのよ」
「ああ、そういえば薬師の試験勉強をしていた頃に書で読みました。聴覚だけでなく、視覚からも仕掛けられるから二倍の効果があるって。呪術の書だったかな……」
「そう言う事よ。つまり自己暗示がかかった状態で鏡を見たら……そこに映った顔は、本当に他人から見た顔と同じかしら……?」
 たまもが懐から手鏡を取り出し、鏡面を根夢に向ける。
 例の蝶が舞っていないところを見ると普通の手鏡の筈だが、そんな話を聞いてしまうと特別なものに見えてしまう。
 根夢は鏡に映った自分の視線から逃れるように目を背けた。
「ただでさえ鏡はそういった力を秘めてるけれど、そこに妖物の力が宿ったら……ね。いるわよね、物に宿る妖物〝付喪神〟の中でも特に有名な鏡の妖物が」
「雲外鏡……」
 根夢の言葉にたまもは薄く微笑む。
「そうよ。尤も、雲外鏡は人に化けた妖物の正体を明らかにするのが本来の能力だけれど、そもそも付喪神は持ち主の強い想いから生まれるものなの。だから持ち主の欲望を実直に、真摯に叶えてしまう。良くも悪くもね。つまり持ち主が自分を絶世の美女と思い込みたければ……」
 根夢は答えを得た様子で〝あっ〟と小さく口をひらく。
「特にこの娘の場合は視力の悪さから自分の顔を良く知らない。だからこそ、雲外鏡の力を借りることで〝相手から見て性的に理想の女〟に見えるよう暗示をかけられるのでしょうね。……むしろ、判らない故に相手に合わせるしかないとも言えるわ。恐らく、目は彼女の目そのまま。鏡を見て唯一はっきり見えるのが目なのではないかしら。はっきり見える物がごく一部だと、自己暗示でも上書きできないくらい心に残ってしまうの。だから、暗示で姿を変えても目だけはそのままになってしまう」
「……なるほど。じゃあ雲外鏡を壊せば中川さんに害は出なくなるって事でしょうか」
「そう……ねぇ。一時的には何も起きなくなると思うわ。でも……雲外鏡の力を借りた事で彼女自身が妖物との繋がりを持ってしまっているから……転化する可能性も否定できないわね」
「転化……鬼にですか」
「そう」
「……」
 鬼への転化。本人の魂が妖物としての力にどれほど耐えられるかにもよるが、大抵の人間は理性を失い、暴走し、周囲に甚大な被害を及ぼす。そうなってしまったら後は討伐するより道はなくなってしまう。
 討伐の資格があるとはいえ、救える命は出来るだけ救いたいと考えている根夢にとって、それは出来るだけ避けたい事態だ。
「できれば雲外鏡との関係を自ら断たせるように直接彼女を説得する方がいい……そうよね」
「はい」
 根夢が真っ直ぐたまもを見据えると、たまもは優し気な笑みを返した。
「場所は柳原土手よ。ただ、あのあたりは私娼窟で、夜鷹がたくさんいるから……ちょっと詳細な場所までは千里眼だけでは判らないの。だから、もう一度中川さんを問い詰めてみて。相手が特定されれば中川さんだって何か話してくれるわよ。色街に取材に来ているような人だもの、完全に忘れているだなんてありえないから」
「そうですよね、ありがとうございます」
「助けてあげてね。中川さんと……できれば夜鷹の娘も」
「はい」
「さて、それじゃぁ外までお見送りを――」
 たまもに促され、二人が腰を上げようとしたところで、店内に悲痛な叫び声が響き渡った。
「嫌にゃあああああ! 絶っっっ対嫌にゃあああああ!」
 驚いた顔で二人がたまもを見ると、たまもも目を丸くしていたようだが、直ぐに優しい笑顔を作った。
「あらあら、あの声は最近入った猫又ちゃんだわ。ごめんなさいね、ちょっとまだ待っててもらえる? 良い事を思いついたの」
 そう言ってたまもはそそくさと部屋を出て行った。
 残された二人は顔を見合わせ同時に苦笑いを浮かべると、諦めた様にもう一度座りなおした。
 
 
 ―――続く

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