1章 巫山之夢《11》

「獣臭い」
 吉原を出てあさきと合流した開口一番、酷いしかめっ面であさきはそう吐き捨てた。
 それっきりだんまりのまま家に帰ると、着くなり荷物もそのまま根夢を強引に風呂場へと連れて行った。
 有無を言わさず着物を剥ぎ取られるようにして風呂場へ押し込められた根夢は、湯あみをしながら扉ごしにあさきに声をかける。
「そんなにダメですか」
「何が」
 ぶっきらぼうなあさきの声が返ってくる。
「たまもさんと……アズキも」
「んや、俺が嫌いなのはあの狐女だけだ。猫は別にどうでもいい」
「そうですか、なら良かった」
 安堵の言葉を発しながら、根夢は湯船に顎まで浸かる。
「あ、でもあさきさん。さっきの言い方だと、きっとアズキも嫌われたと思ってますよ。謝ってあげてくださいね」
「は? いや……あぁ、まあそう……だな」
 不服そうな声色で返事をするあさきに根夢は言葉を続ける。
「さっき舟で説明もしましたけど、男の人が苦手らしいので、あまり脅かす様な事もダメですからね」
「ああ……って、うち男しかいないのに。良く平気でついて来たなあの猫」
「たまもさんが、僕や榊さん、もちろんあさきさんだってアズキに危害を加える様な事はないって言ってくれたんですよ。アズキ、たまもさんに懐いてましたから」
「ああそうかよ。ったくあの狐女に何がわかるってんだ……」
「えっと、千里眼が使えるそうなので……」
「そういう意味で言ってんじゃねーよ」
「あはは、そうですね」
「……」
 ちゃぽん、と水音が響いた。
「なんでそんなに嫌いなんです?」
「狐女か?」
「はい」
 扉の向こうで、ズルズルと布ずれの音がする。恐らく扉に寄りかかっていたあさきが、身体を倒して寝転がったのだろう。
「あいつは女の卑怯で嫌らしいところを全部詰め込んだみたいなやつだ。あとは……そうだな……お互い、知りすぎてる」
 扉越しに大きなため息が聞こえる。
「それ以上は話したくねぇ」
「……判りました」
 根夢が湯船の縁に腕を出して身を乗り出す。
「あの」
「あん?」
「そろそろ出ようと思うんですが」
「出たらいいだろ」
「ええ……」
 根夢が困惑顔で扉の向こうを見つめる。
「冗談だ。向う戻って猫に謝ってくるわ。ちゃんと髪拭けよ」
 扉の向こうであさきが立ち上がった気配がする。
「あ! あさきさん」
「なんだよ。やっぱり身体拭いて欲しいか?」
「馬鹿言わないでください。そうじゃなくて……アズキの事、勝手に引き取るって決めてすみません」
「謝ることじゃねーだろ。お前だってもう大人なんだし、薬師にもなれたんだ。俺が口出す方がおかしいだろ」
「はい。それはそうなんですけど、なんとなく……歓迎してはいないんだろうなって」
「……狐女絡みだから、ちっと気に入らねぇって思ってるだけだ。気にすんな」
 そう言い残してあさきは脱衣所から出ていった。
 根夢は小さく溜息をつくと湯船から出る。
「あ――」
 一瞬目の前が暗くなる感覚がし、慌てて湯船の縁に手をついた。
 額に手を当て眩暈が収まるのを待ちながら、根夢は苦笑いを浮かべる。
「長湯しすぎちゃったな……」
 小さく呟くと、根夢は風呂場を後にする。
 脱衣所に入ると、先程まで着ていた着物が丁寧に畳まれ、背負い薬箱の隣に置かれていた。さらにその隣には西洋手ぬぐいと浴衣が籠に入れられている。
 根夢はそれらを眺めながら吹き出した。
「世話焼きが過ぎますよ、あさきさん」
 そう一人呟いて、根夢は西洋手ぬぐいを手に取った。
 
 ――――続く

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