1章 巫山之夢《17》

 
 静まり切った部屋に、突然シュッと布が擦れるような音が鳴る。
 黙ったままじっとしていたあさきは、怪訝そうに一瞬眉をひそめた。しかし、瞬時に何かを察し根夢の布団を捲る。
 すると根夢の左肩から血が流れ出していた。
 布団はじんわりと赤く染まっていく。
「チッ……」
 あさきは舌打ちすると、枕元に置かれた薬箱から包帯を取り出し手際よく止血をする。
「何が起きてんだよ……」
 念のため中指の紐を引いて反応を探るが、応答する様子はない。
 ふと気配を感じて、根夢の枕元で丸くなっているアズキに目をやる。するとアーモンド形の銀杏色をした瞳がカッと見開かれ、こちらを凝視していた。
 あさきと目が合うと、動揺したようにその瞳が揺れる。
「猫のままじゃ話せないだろ。とりえずこっち来い」
 そう声をかけると、アズキはあさきに飛びつきながら人型に変化する。そのまま体当たりされたあさきは、アズキの体重を受けて後ろに倒れ込んだ。
「ってえよ、誰が上に乗れって言った!」
「根夢が! 何処にも居ないにゃ!」
 あさきの言葉など意に介さず、馬乗りになったままアズキが捲し立てる。
「わーかったから! 一緒に考えてやるから、まず深呼吸。あと俺から降りろ」
「にゃー!」
 尻尾を踏まれたかのような悲鳴をあげ、アズキが飛び降りる。
 勢いまかせに腹を蹴られ、あさきの口からは小さな呻き声が漏れた。
「アズキ……約束、しろ。人の上に乗るな。間違って乗ったらゆっくり降りろ、いいな」
「にゃ……」
 恨みの籠った視線を向けられ、アズキの耳がしょんぼりと垂れ下がる。
 あさきは身体を起し、一つ深呼吸をする。
「で、だ。根夢が居ないってのはどういうことだ?」
 あさきに問われ、アズキがハッと顔を上げた。拙いながらも一生懸命に説明し始める。
 アズキの話ではこうだ。
 
 人も獣も、眠りにつくと必ず意識は夢の世界へ誘われる。
 夢を見ている自覚があれば意識体として歩き回ったり、場合によっては会話もする。
 逆に自覚がない、所謂深い眠りの者は、眠った姿のままただその場に転がっているだけなのだと言う。根夢が夢渡りで半透明の身体の状態と語るのがまさにその深い眠りの者だ。
 つまり、どちらの状態であれアズキのような夢魔は、意識体の持ち主が眠ってさえいれば、町を歩く人々の様にその存在を感じ取る事が出来る。
 しかし、今の根夢はその存在すら感じ取れないのだと。
 
「つまりその夢の世界に居ないっていう状態ってのは……死んでるか、狸寝入りか……何者かに魂ごと封じ込められるって事か。どうみても死んではいねぇし、狸寝入り……もないな」
 言いながらあさきは根夢を一瞥する。
「根夢は連絡が途切れる前、蝋燭みてえな光を追いかけるって言ってた。恐らくそいつの罠に引っかかったんだろうが、情報が少なすぎるな」
「どうしたらいいにゃ……」
 再び不安げな顔になるアズキを尻目に、あさきはじっと睨むように根夢の様子を観察する。
 シュッとまた音がする。
 根夢の頬に赤い糸のような線が走った。
「にゃ!」
 目を見開くアズキの横で、あさきは苛立ったように眉をひそめた。
「何? 何なのにゃ?」
 頬の傷はごく浅く、すぐに出血は止まる。
 あさきは乾き切らない傷を指で拭い、僅かについた血を口付けるように舐めた。
 さも当たり前といった様子で、あさきの表情は動かない。 
 ふと、風が舞い込む。
 それと同時にひらりと、蝶が舞い込んだ。
「蝶紙……?」
 蝶紙のやり取りなど薬師同士でもなければしない。となるとこの蝶紙の宛先は、普通に考えたら根夢だ。
 しかし今根夢に蝶紙を送る薬師など限られているし、なによりその相手は根夢が今夢渡りをしている事を知っているはずだ。
 訝し気に蝶紙の動きを目で追うと、どういうわけか蝶紙はあさきの肩に止まった。
「俺?」
 あさきは蝶紙を手に取り、文字を追う。
「……アズキ。今すぐ夢の中に行け」
「なんでにゃ? 何が書いてあるにゃ?」
 アズキが蝶紙を覗き込む。しかしそこにはミミズのような墨が走っているだけで、辛うじて平仮名が読める程度のアズキには全く理解ができなかった。
 いや、漢字が読めたところでこの文字では解読できたか怪しいものだが。
「榊のおっさんからだ。いいから行け、急を要する。おっさんが結界破りしてくれてる。今ならきっと――」
 不意に、普通の人間ならば見逃すような、ごく僅かな物音が二人の耳に届く。
 玄関からのようだ。
「本当に来たのかよ……」
「何にゃ? あさき?」
 あさきは無言で指に結んだ紐を解き、アズキに付け替える。
「いいか、結界破りがもし不完全でも、お前の夢魔の力とその紐の誘導があれば根夢の所へ行けるはずだ。俺は――」
 あさきの目が金色に光る。
 何かを振り切るように大きく頭を振ると、あさきの髪は、赤く染めた一房以外、全て月のような淡い金色に変わる。
 額には黄金の角が、神々しいまでに月の光を反射し輝いていた。
「食事をしてくる」
 そう言って立ち上がったあさきが部屋を出る直前、振り返る。
「アズキ、何ならお前も食事して来い。根夢に危害を加えるヤツなんて……食い殺していい」
 ニヤリと笑った口元からは鋭い牙が覗いた。
 どこか楽しそうに出て行ったあさきの背中をアズキ見送る。
 一息吐くとアズキは寝夢を見つめ、小さく頷く。
「アズキのお仕事にゃ」
 アズキは猫の姿に変わると、根夢の頭にぴったりと身を寄せて目を閉じた。
 
 ――――続く

ひえーなんとか再開しました。
ちょっと量が少ないんですが、うっかりこの先いれると切り処が難しいのでこれで!
色々大変な時期で、私も何かと筆の進みが一層遅くなってますが、このままどうにか1章完了まで走り抜けたいと思います。
きっと秋のデザフェスの時には終わってる。
終わって本も作ってる。
きっとそう、そうしたい。
そして、元気で皆に会いたいです!!
ではでは、また連載よろしくお願いします~!

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