1章 巫山之夢《20》


「薬師の、偉い方だったんですね」
 花模様の平べったい巾着袋を両手で大事そうに抱えた娘が晶墨に視線を送る。
「何をもってして偉いかは如何とも言いがたいが、階級はそれなりだ」
 風呂敷包みを小脇に抱えながら、晶墨は少し居心地悪そうに娘から視線をそらす。
「……娘さん、私は融通か利かない性格をしていてね、鏡のことはすまなかったね。もう少し早く君に返却できていれば、今回のような事件にはならなかったかもしれないのだが」
 2年近く前のことだ。晶墨が現場対応した、この辺りで起きた小さな事件。その事件を解決に導いたのは、一般人の少女だった。
 彼女は人に化けた妖物の正体がわかるという不思議な鏡を持っていた。その鏡のおかげで事件を起こした妖物を見破ることができたのだが、調べてみると結局はその鏡も妖物、俗に言う付喪神だったことが発覚した。
 妖物である以上、害が無いとは言いがたく、本部で一時預かりとなっていた。
 調査の結果、問題がないと判断されたため返却予定ではあったが、少女の身元がわからず返せず仕舞いとなっていた。
 何の因果か、その少女というのが今回の事件で中川と関係のあった遊女だ。
 中川の動機は、本人の死亡で正確なところはわからないままだが、別の鏡を少女に贈っているところをみると、この鏡が無関係と考えるのは無理がある。
「いいんですよ。それがお仕事でしょう? そんなことよりひな子って読んでって言ってるじゃないですか」
 名を長実ひな子と言うらしい。
 随分と大人びた話し方をするが、年の頃は十代半ばくらいだろう。
 忘八は頑なに名を教えてくれなかったが、少女自身はあっさりと名乗ってくれた。
 母親である雛芥子という遊女の名前から字をもらったそうで、忘八が頑なに拒否したのはそのあたりが原因だろうと晶墨は踏んでいる。
「大人をからかうんじゃないよ」
「からかってませんよ。だって、眞竹さんと私、お付き合い長くなりそうじゃないですか。これからお世話になるお家の方と仲がよろしいんでしょう?」
「よろしいもなにも、娘さ……ひな子さんも家主には会っているだろう。あの夜の様子を見ていれば私と先輩の関係なんて言うまでもないと思うが」
 今回の一件、中川に手引きをした何者の陰が見え隠れしている。
 中川が彼女に固執していたことを考えれば、その何者かに彼女の存在が知られているであろうことは容易に想像できた。
 彼女の身の安全を考えれば、あの置屋に居続けるのは危険だ。故に、本部付き幹部である晶墨と親交の深い宮ノ内家で預かるのが最適と判断され、二人は榊の家へ向かっていた。
「ええ、だから仲がよろしいんだなって」
 名前で呼ばれ、ひな子は満足そうに微笑み晶墨を見上げる。
 晶墨はうんざりしたように眉を下げ、小さく首を横に振った。
「よろしいというより、振り回されているだけだがね」
「そうは見えませんけど。尤も、私に視えている表情が眞竹さんの外側かはわかりませんけどね」
 ふと強い風が吹く。
 どこかで張り紙が剥がされてしまったのか、前方からくしゃくしゃになった紙がひな子目掛けて飛んできた。
 晶墨は気づく様子のないひな子の腕を引いて飛来物を避けさせる。
 少し驚いたような表情を浮かべるひな子に、晶墨は怪訝な顔を向けた。
「一つ聞きたいんだが。君にはこの世界がどう視えているんだ? 鏡を持っていても視力が回復している訳ではないようだが」
「そう、ですね……どう説明したらわかるかな……」
 ひな子は細い指を顎に当て、周囲を観察するようにゆっくり見渡す。
「基本的には全部ぼやけてるんです。でも、鏡を持っていると人とか動物とか生き物……あ、でもお化けは生きてないですよね。私お化けも視えるから、えっと……心……。そう、心があるものはそれが形になって、外側……肉体っていえば良いかな? と重なって視えるんです。だから、心があるものは心……ある意味本当の姿って事になるのかな。そっちが私には視える……って言えばわかります?」
「ふむ、なるほど……」
 眉間にしわを寄せ、ひな子が話した言葉の意味を咀嚼するようにして考え込む。
「さっき、何から守ってくれてんです?」
「ああ、ただの紙くずだ。掲示板の紙か何かだろう」
「そうでしたか。ありがとうございます。……その位の大きさのものだと、付喪神にもなってないでしょうし、外側だけだとぼやけ過ぎて私には視えませんね。大きいものなら案外判るので避けられるんですけど」
「なるほどな」
 なんてことのない昼間の大通りを、話すことが無くなってしまった二人が無言で歩く。
 晶墨はひな子の様子を気にしながら。
 ひな子は晶墨からあまり離れないように気をつけながら。
 一見すると、二人は親子のようでもあった。
 ふと、晶墨は口を開く。
「ひな子さん」
 晶墨の声に、ひな子は小さく首をかしげて答える。
「これから行く家はね、私がとても世話になった先輩の家になるが……すこし奇妙な家でね。その鏡の力が及ぶのなら……君はかなり色々な物を視てしまうと思う。だが、申し訳ないが……本人には黙っていて欲しいんだ」
「本人……? それってその先輩って人ですか?」
「いや、朱い方だ」
「朱い……」
「視ればわかる。いや私も見た事はないが、聞いた話では朱いはずだ」
「……わかりました。大丈夫ですよ。危ない人ではないんでしょう?」
「そうだな。なに、危なければ私が斬って捨てる」
「あら怖い」
 ひな子が口元を袖で隠してクスクスと笑った。
 またしばらく無言で二人が歩くが、程なくして再び晶墨が口を開く。
「さて、見えてきた。あの角の――」
「猫ちゃん!」
 飛び出すようにしてひな子が駆け寄る家の玄関先には、着物姿の男と、長い黒髪を耳のあたりで二つに結び、小豆色の着物を着た〝人間の〟少女が立っていた。
 少女は突然耳に入った「猫ちゃん」という言葉に驚いたように目を丸める。
 それと同時に少女の頭の上に三角の黒い耳が飛び出した。
「アズキ、耳!」
 隣での男が声をあげると、アズキと呼ばれ少女は飛び出た耳を慌てて引っ込める。
「あ、ごめんなさい、そういう事なのね。あまりに可愛くてつい」
 その様子を見たひな子は謝罪の言葉を口にするが、アズキを触りたくてうずうずとした様子で立ち尽くしている。
「ひな子さん、急に走るんじゃない」
 後からかけよってきた晶墨の姿を確認すると、アズキは弾けるような笑顔で、自分の前に立つひな子を見上げる。
「お姉ちゃんがアズキと一緒に住むお姉ちゃんにゃ?」
「うん、そうなの。よろしくねアズキちゃん」
 そう返したひな子の視線は、本来アズキの顔があるべき場所を通り越しほとんど地面がある場所まで落ちていた。
「よく来たね。ええと、ひな子さんと呼んでいいのかな? 先日は中川さんの件でお世話になったね。あのときはバタバタしてしまってろくに名乗りもしなくて申し訳ない。私はこの家の主、宮ノ内榊だよ。よろしく。ああ、それから……普通の人が見えているアズキの顔はもっと上だよ」
「あ、そうねごめんなさい。見えてはいるわ。でもこっちがどうしても可愛くて……」
 アズキの顔と、足下の何かを交互に見ながらひな子が答えた。
「さて、中へ入るよ二人とも。晶墨、お前も茶の一杯でもしていったらどうだい」
「いえ、自分はこれで。まだ雑務を残していますし、顔を合わせればまたあさきと口論になるでしょうから」
「ふふ、大人になったもんだねお前も」
 からかう様な榊の言い草に一瞬もの言いたげな表情を見せた。しかしすぐにあっと小さく口をあけ、ガサゴソと懐を探る。
「これ、アズキの式鬼登録変更証です。根夢君に渡してください。それから、これが彼女の荷物です」
 いかにも書類が入っていそうな封筒と、ずっと手に持っていた風呂敷包みを榊に渡す。
「ああ、ありがとう。しかしひな子さんの荷物はこれだけかい? 少しは家具もあると思っていたんだけれどね」
 そう榊が言いながら視線を送ると、ひな子は少し困ったように眉を下げた。
「あの家具は、置屋の物なので……おとっさんは何か持たせたかったみたいでしたが、他の姉さん達の手前、そうもいきませんし。着物とちょっとした小物だけにしたんです」
「そういかい。まあ、家具ならアズキの部屋に使い切れないほどあるから一緒に使っておくれ。ああ、申し訳ないけれど、部屋はアズキと一緒だよ」
「大丈夫です。それに私も初めての場所で一人は心細いですし」
「それならよかった」
 そう言って微笑む榊に釣られるようにして、ひな子も微笑んだ。
「先輩、そういうことなので自分はこれで」
「ああ、引き留めてしまったみたいで悪かったね。ありがとう、晶墨」
 晶墨は小さく頭を下げると、踵を返して去って行く。
 その背中を見送り、三人は玄関を跨いだ。
 ――――続く

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