1章 巫山之夢《19》


 夢の世界から戻った根夢は、道具の片付けもそこそこに、あさきを伴い中川の家へ急いだ。
 少し疲労の色が見えたアズキには、しっかり施錠をして留守番するよう言いつけてある。
 二人が中川の家に着くと、玄関先で晶墨が険しい顔で出迎えた。
「晶墨さん、どう――」
 根夢が近寄ると、晶墨の後ろから見知らぬ男が顔を出した。
 軍服のような洋装に帽子を被っている。邏卒らそつだ。
 日々の鍛錬を欠かさないのだろう。年頃は晶墨と変わらなそうだが、骨太そうな体格と反り返るような姿勢、そして邏卒の制服が醸し出す厳格そうな空気が手伝い、随分と威圧感があった。
「このこが担当の薬師だ」
 紹介されたものの、根夢は不安げな顔を晶墨に向ける。
「安心してくれ、彼は私の元同僚だ。面倒な事になる前に証人になってもらおうと思ってね」
「同僚……?」
「邏卒だったんだ、昔は」
「えっ」
「もう何十年も前の話だ。今回は〝人間〟の死体が上がった以上、邏卒に何も言わない訳にいかない。だからと言って理解の悪い邏卒が絡んだら面倒だからね、知り合いを呼んだというわけだ」
 晶墨が男を振り返る。
「という事で悪いがガイシャの事を頼む」
 男は肩をすくめ、やれやれと首を振っただけで何も言わず家の奥に戻って行った。
「死体……」
 根夢の表情が沈む。
「お察しの通り中川さんは死体になっているよ。……夢渡りで何があったか聞かせて貰えるか?」
「ええ、勿論。でもあの、榊さんは……?」
「件の夜鷹についての対応をしているだけだよ。危険はないから安心してくれ。そのあたりの込み入った話もあるからまず中へ」
 そう言って踵を返し家に入っていく晶墨の背中に、あさきが声をかける。
「おい、俺の事が嫌いなおめぇさんよ。俺は邪魔かい?」
 大きな舌打ちと共に晶墨が振り返る。
「あいつにお前の正体を伏せていた事へ礼はないのか? これだから貴様のような……。いや、とりあえず今は貴様にも聞くことがある。つべこべ言わずに入れ」
「ああそうかい、そりゃどうも」
 背を向けた晶墨に、あさきは子供の用にしかめっ面で思いっきり舌を出した。
「馬鹿やってないで、行きますよあさきさん」
 根夢に飽きれた視線を向けられ、あさきは不機嫌そうなまま後に続いて家に入っていった。
 
・・※・※・・
 
 今からほんの二時間くらい前の話になる。
 作戦開始を知らせる蝶紙を晶墨が放った事を確認した榊は、夜鷹が待つ部屋の障子を開けた。
 微かに感じていた香の匂いが一段と強くなる。
 すると衝立の向こうから若い娘がひょいと顔を出した。
 醜女しこめと言うほどでは無いが、なるほど確かに吉原で客を取れるほど華やかな顔立ちとは言い難い。しかし、不思議と安心できる優し気な顔つきをしていた。
「どうぞ中へ……今夜はお二人なんですね」
 娘の言葉に二人が顔を見合わせる。
 事前の話では目が見えないと聞いていたのだが。
「娘さん、失礼な事を聞くけれど……目は見えているのかい?」
 榊はもう不要と判断したのか京言葉を止め、そっと娘の前に屈んで訊ねる。
「ぼんやりと、輪郭くらいは。ああでも、お顔までは判りません。だから安心してくださいね」
 すみれの花がそっと花開くように娘が微笑む。
「……あら、お薬の匂い。でも普通のじゃない……ああ、お二人は薬師の方ですか。それでおとっさん通してくれたんですね」
「なるほど、何か事情がおありですね。それじゃあ失礼しますよ」
 榊の言葉に、少し焦点の合わない目線のまま娘は小さく頷いた。
 座敷に招かれた二人は、娘と対面するようにして座った。
 部屋の中は吉原程ではないにしろ、河原にある置屋には似つかわしくない華美な調度品が置かれている。
 入口にで対応した忘八ぼうはちの、この娘に対する口ぶりからはい想像しがたい部屋だ。
 榊は娘を真っ直ぐ見つめ、口を開いた。
「娘さん、あまりのんびりしていられないから単刀直入に聞くけれど、中川という作家の男を知っているかい?」
 榊の問いかけに答える代りに、娘は無言のまま枕元に置かれていた赤錆色の巾着袋を榊の前に差し出した。
 円形で薄型の物が中にある事が見て取れる。
「こちらを、私に贈ってくださった方です」
「これが、何か判っていますか?」
 榊は袋には指一本触れぬまま、娘に問いかけた。
「……良くない鏡、ですね」
「ええ、そうです。そして貴女は、何度かその鏡を使いましたね?」
「……はい」
「何故です?」
「呼ばれたからです。……中川さんに」
 榊が鏡をじっと見据え、眉間に皺を寄せる。
「呼ばれた……というのは?」
「鏡から声がするんです、毎晩毎晩。耐えられなくなって何度か袋から出しました。そうすると、開けた途端に私は中川さんの部屋にいるんです」
 榊は眉を寄せると小さく頭を横に振る。
「なるほど。ちなみに最近で最後に開けたのは?」
「二、三日くらい前だったでしょうか……最後にするから、本当だからとあまりに言うので。でもその時は、知らない方がいました。この通りの視力ですから、お顔は判りませんでしたけど、中川さんに比べたら随分と若そうでしたね」
「……晶墨」
 榊はうんざりした様に大きく息を吐いた。
「私は自分が情けないよ。彼の愚行を気付けないどころか、べらべらと取材に答えていたなんてね」
 榊は懐から蝶紙を取り出し、筆を走らせる。
「娘さん、その鏡を受け取った経緯、詳しく聞かせてもらえるかな。それからね、気付いているかもしれないけれど、その鏡は中川が夜に貴女を求めない時でも、貴女の様子をずっと中川に伝えていたよ。そういう鏡なんだ。……破棄していいね?」
「はい、お願いします」
「……晶墨、お前は今すぐ中川さんの家へ頼む。私は……根夢の夢渡りを邪魔するであろうモノの対応をするよ」
 書き終えた蝶紙を解き放ちながら、晶墨を振り返る。
「彼女の話を鵜呑みにするんですか?」
「馬鹿だなお前は。この部屋みて判らないかい? 夜鷹の客とりっていうのはね、ゴザ一枚で河原をうろつくのが大半だ。それなのに、これだけまともな家具のある部屋を与えられてるなんて、余程大事にされているってことじゃないか。むしろ娘さん……あんた夜鷹の仕事なんてほとんどしてないんじゃないかい?」
 榊の言葉に、娘は曖昧な笑みを返す。
「入口の忘八がそんな娘の元に私等を通したのは、私等の正体を見破った上で、娘さんについた悪い虫を祓ってくれると見越してだろうさ」
「それならそうと真っ直ぐ協力を仰げばいいじゃないですか。あんな暴利な値段まで出して」
「あの……」
 二人のやりとりに娘が口を挟む。
「すみません、入口でのやり取り聞こえてたんですけど……おとっさん、西の方嫌いなんですよ」
「……そりゃ作戦失敗だったね」
 娘の言葉に榊はバツが悪そうに笑う。
「まあ、そう言う事だ晶墨。それより事は急を要するよ、馬車でも捕まえた方がいいくらいだ。お前の立場ならそのくらい経費で落ちるだろう?」
「まったく……判りました。先輩もくれぐれも無茶をなさらぬよう。どうせ貴方の事だから、ソレを通して結界破りでもするのでしょうが、その巾着の反物――」
 晶墨の言葉を遮る様に榊は晶墨をじっと見据え、険しい顔で首を横に振る。
「不確定要素は不確定要素だよ。いいからお前はお前の仕事をしなさい」
 榊はそう言うと晶墨に背を向ける。
「では、また後で」
 部屋を出ていく晶墨に、榊は後ろ手でひらひらと手を振った。
  
・・※・※・・
 
「……つまり、全ての元凶は中川さん本人だったんですね」
 晶墨の説明を聞いた根夢は、言葉を選ぶようにしてゆっくり口を開いた。
 そんな根夢の様子に、晶墨は複雑な表情を浮かべて唸る。
「いや……中川があの夜鷹に鏡を使わせた事と、この部屋へ来る途中で話してくれた夢の世界での襲撃は、動機を別に考えた方がいいかもしれない」
「どういう事です?」
 晶墨は根夢の問いかけに答えず、ちらりとあさきに目線を送る。
「貴様、血の匂いをさせているが何があった?」
「時代遅れの暗殺者が襲撃に来たから始末した」
 晶墨がわざとらしく大きなため息をつく。
「言いたいことは山ほどあるが、今は勘弁してやる。答えろ。そいつに変わった様子はなかったか?」
「俺も言いたいことは山ほどあるけど答えてやるよ。赤錆色の色羽織を着ていた。おめぇが欲しいのはこの情報だろ? しっかり回収してうちで保管してやったから感謝しろよ」
「ッチ」
 二人の相変わらずなやり取りにうんざりした顔をしながらも、根夢は割って入る。
「ちょっと話が見えないんですが……」
「実はね、あまり大事に至っていないから公にはなっていないけれど新人の薬師ばかりを狙った襲撃事件が最近ちらほら起きているんだよ。今回もその可能性は十分あったから、先輩が蝶紙をコイツに送って警告していたんだ。で、今まで報告のあった中で度々確認されているのが、薬師に対抗したかのような、色のある羽織を来た者達だ」
「色の……羽織……」
「ひょっとして、夢の中の中川さんも着ていたりしないかい?」
「あっ――!」
 根夢がハッと顔を上げ、口を開く。
 しかし、言葉を発しようとしたのと同じくして、大げさな足音と声が廊下から響いて来た。
「おーい眞竹、そろそろ引き上げてくれ。こっちもいい加減部下を呼ばねばならん」
 こちらの話を盗み聞きしていないという主張なのだろう、わざわざ距離を保ったまま、足音は止まった。
 晶墨は障子を開けて廊下に顔を出す。
「判った、こちらの事は帰ってからにする。悪いな、長居して」
 晶墨の返事を聞くと、足音は去っていく。
 障子を閉め、晶墨が二人に向き直る。
「という事だそうだ。そろそろ先輩も返ってくる頃だろう。私達も帰ろう」
「あの、でも中川さんは……」
「根夢君が夢で見た通りの場所が傷になって絶命しているだけだ。そんなもの、何度も見る必要はない」
 それだけ言うと、晶墨はさっさと部屋を出て行く。
 根夢とあさきもそれに続き、三人そろって中川の家を後にした。
 ――――続く

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