1章 巫山之夢《21》


 廊下を歩く榊がふと振り返る。
「ひな子さん、晶墨からこの家について何か聞いたかい?」
 少し緊張した面持ちの榊に、ひな子は柔らかく微笑んだ。
「少し。視ればわかると言ってました。朱いほうには何も言わないで欲しいと。でも、私もあんな仕事してましたから、色んな事情を抱えている人が居るのもわかってます。だから大丈夫ですよ」
 ひな子が微笑むと、榊が安心したように目を細めた。
「ありがとう。若いのに達観していて凄いね君は」
「いいえ、私なんてまだ井の中の蛙です」
「ははは。本当の世間知らずはそんなこと言わないよ。……さて、あと二人家族を紹介しなきゃね。――入るよ、根夢、あさき」
 そう一声かけると、榊は居間に続く障子戸を開ける。
 居間にはちゃぶ台を挟んだ向こう側にお雛様のように並んで座る二人組がいた。
 その二人を視たひな子は息をのむ。
 彼女に視えたのは人ではなかった。
 一人は月の様な輝きをした金色の髪を持ち、額には黄金の角を携えた鬼。
 そしてもう一人は、長く朱い髪を後ろに流し黒漆の様な角を携え、長い睫のある瞼を重たく閉じた鬼だった。
 朱い鬼の瞼がゆっくり開く。
 蛇に睨まれた蛙の様に硬直したひな子に、鬼は音もなく微笑んだ。
 薄く弧を描く口元に指を一本あて、射貫くような視線をひな子に向ける。
 そしてそのまま、空気に溶けてしまうようにしてその姿は消えていった。
 朱い鬼の消えた後には、人当たりが良さそうな青年が座っていた。青年の周囲には小さな紅白の花びらが舞っている。
 青年に既視感を覚えたひな子は訝し気に青年を見つめる。
「あの……僕が何か……」
 青年が不思議そうな顔でひな子を見上げる。
「あ、ごめんなさい。えっと……あの……あ! 以前、夢で……!」
 なんとか取り繕おうと考えを巡らすうちに、青年に覚えた既視感の正体にたどり着く。
「はい。中川さんの夢の中でお会いしてると思います」
「ああ! あの夜の!」
 ひな子がほっと胸をなで下ろしていると、青年が立ち上がった。
「ええと、改めて……初めまして、木ノ下根夢です。桃の精だった母の影響で、ちょっとだけ視る力はあるので、それを活かすために薬師をしてます。といってもまだなりたてなんですけど」
「ああそれで――」
 言いかけたひな子は、しまったという顔で榊を振り返る。
 当の榊は一瞬目を丸めたものの、少し考えるそぶりをして見せた後、柔らかい表情で小さく頷いた。
 ひな子は、言葉の先を待つようにして黙り込んでいる根夢に優しく微笑む。
「根夢さんの周りに、紅白の花弁が舞っているんです。桃の花弁なんですね」
「えっ、ああそうなんですね。花弁か……ちょっと照れくさいな」
 そう言いながら根夢は気恥ずかしそうに頬をかいた。
「似合うじゃねぇか、花弁」
 金色の鬼が根夢の隣に並んで立ち上がり、ひな子を品定めするような視線を送る。
「俺はあさきだ。根夢の用心棒とでも思ってくれ。……にしてもあんた、面白いもんが視えてるんだな。そんなら俺の姿も〝それなり〟に視えてるんだろ?」
「あさきさんすぐそういう……ごめんなさい、えっと」
 根夢は嗜めるようにあさきの袖を引き、申し訳なさそうな顔をひな子に向ける。
「長実ひな子です。大丈夫です。あさきさん、見た目はちょっと怖いけれど、凄く優しい目をしてますから。特に根夢さんへは」
 最後に一言にあさき大きく顔を歪ませた。そのまま居心地悪そうに胡坐をかいて座り込む。
「さて、自己紹介は済んだね。根夢、娘さん二人じゃ家具の移動も大変だろうから、手伝ってあげておくれ」
「そうですね。行きましょう」
「あっ、あの」
 それぞれ動き出そうとしていた全員が、ひな子の声で動きを止めた。
 ひな子は一呼吸すると、すこし緊張した様子で笑顔を作った。
「視力の事もありますし、とんだ不束者かと存じますが、出来る事から精一杯させていただきます。よろしくお願いします」
 そう深々と頭を下げるひな子に、榊は優しく笑いかける。
「そう畏まらなくていいよ。うちには元々不束者しか居ないから。さあ、日が暮れる前に荷物の整理をしてきなさい。夕飯は外に行くからね」
 榊にせかされるようにして、三人が居間を後にする。
 廊下から聞こえる三人の声が遠ざかると、榊は険しい顔であさきの前に座った。
「で、なんか判ったのかよ」
 黙ったままの榊を睨むようにして、あさきが問いかけると、榊は小さく首を振る。
「調査中、以上の事は教えてもらえなかったよ」
「はあ? 晶墨の野郎、根夢やあんたが殺されても良いって事かよ」
「違うよあさき、それは違う。あいつも立場上どうしても言えない事があるんだよ」
「そう言うのが気に入らねぇって言ってんだよ俺は」
「……」
 俯きがちに黙り込んでしまった榊を前に、あさきはうんざりした様に大きく息を吐いた。
「あんたらがそう言う態度なら、俺は根夢をぶっ壊してでも無理やりアイツを起す事だって出来るんだぜ」
 あさきの言葉に、榊は反射的に顔を上げた。しかし、あさきと目が合うと小さく口の端を上げる。
「お前はしないよ、そんな事」
「あ?」
「自覚ないのかい? お前、すっかり根夢に情が移ってるじゃないか。見ていて恥ずかしいくらいだよ」
「てめっ――」
 ちゃぶ台を乗り越えてきたあさきに胸ぐらを掴まれた榊だが、取り乱す事もなく、そっとあさきの腕に触れる。
「落ち着いておくれ。根夢達が戻ってきたら大ごとだよ」
 あさきは渋々榊から手を離し、座りなおす。
 しかし納得いかない様子で腕組みをすると、ふんと鼻を鳴らした。
「あさき、これを預かってほしい」
 榊は懐から封筒を一つ取り出し、不貞腐れるあさきの前に置く。
 真新しい物ではないようで、端の方は少し折れ曲がっていた。
 怪訝な顔であさきは無言でその封筒を開け、中から出てきた一枚の紙を確認するとあさきは低く唸る。
「どういうつもりだ」
「言ったろう。私はお前を信用しているんだよ。……それは〝もしも〟の時のための情報共有だよ」
「あってたまるか〝もしも〟なんて」
「その〝もしも〟が現実味を帯びているからねぇ……」
「つまんねぇ冗談もそのくらいにしねぇと今〝もしも〟にしてやっても良いぞ」
「ははは。冗談のつもりではないのだけれどね。いやいや、そうだね少し気が急いたかな。でもいつかは必要なものだからね」
 考え込むようにして榊が額に手をあて、ちゃぶ台に肘をつく。
 あさきは小さく首を振りながら封筒を懐にしまい込んだ。
「晶墨の野郎は、本当に何も教えてくれない上に女まで押し付けてきたのか? こっちはあの血生臭い色した羽織まで渡してやったのに」
「そういう事になるね……。でもね、あさき。私達へ引っ越しの指示もせず、ただ彼女を預けてきたって事は、案外私達の事はバレていないんだと思うよ。本当に危険だったら上の人間を殴ってでも私達の安全を確保してくれるさ。そういう男だよ晶墨は」
「俺なら殺しでも動くけどな」
「そこはほら、人間だからね晶墨は」
「悪かったな、人間じゃなくて」
 あさきはじっと障子の向こうを睨む。
「……なあ、間者じゃねぇよなあの女」
「それはないと思いたいね」
「ああ、ちゃんとその危険性も判ってんだな」
「当たり前だろう。これでも野望渦巻く京の都で御勤めしていたんだから」
 榊の言葉をあさきは鼻で笑う。
「ろくでもねぇな」
「それでも私とお前の故郷だよ。……さて、向うはそろそろ片付いたかな」
 〝よいしょ〟と掛け声をつけながら立ち上がると、榊は居間を出て行った。
 あさきはその背中を見送ると、大の字になって寝ころび、気怠そうに欠伸をした。
 ――――続く
 

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