1章 巫山之夢《15》

「あの……に、似合っては……いますよ」
「慰めになってないよ根夢君」
「す、すみません」
 背中に金糸で大きな鯉の刺繍が入った黒い着物を纏い、普段は上げている前髪を半分だけ下ろした姿で晶墨が肩を落とす。
 年齢的にゴロツキの下っ端などという設定には無理があると豪語していた晶墨だが、前髪を下ろすと存外若く見えた。
「なかなか様になっているだろう? 二十代……は無理でも四十手前くらいには見えるんじゃないかな。これも着けるしね」
 そう言いながら口元だけの布作面をひらひらさせ、少し遅れて榊が戻ってくる。鼠色の着物に深川鼠の羽織を纏い、着物はよく見ると細かな亀甲柄が織り込まれている。
 晶墨の装いに比べると一見地味だが、正装のごとくきっちり着込まれた姿には品があった。
「……いくらしたんですその紬」
 布作面を受け取りながら晶墨が渋い顔を向ける。
「いい大人が値段を聞くもんじゃないよ晶墨。だが、そうだねぇ……御所勤めしていた頃の私が、遊び着のつもりで買ったくらいの値段といったところかな。……いやぁ、残っていて良かったよ今じゃとてもとても」
 榊は懐かしそうに目を細めて袖口を撫でた。
 そんな榊から晶墨はそっと目を逸らす。
「根夢、妖物の彼女は私達が相手をする予定だけれど、万が一が無いとも言い切れない。刀の手入れも忘れないように」
「はい」
 根夢は背筋を榊の言葉に伸ばして答えた。
「さて、少し早いが出かけようか晶墨」
「え、もうですか」
「ああ、少しより道をしてその格好に慣れなきゃいけないだろう? 今のままじゃ不自然すぎて、すぐカタギのもんだってバレてしまうよ。特にお前は嘘が下手だからね。私も京都弁を思い出さなきゃいけないし」
 一つ咳払いを挟み、榊が言葉を続ける。
「ほな、行こか」
 たった一言だが、その自然な発音と言い回しで、付け焼き刃ではない身にしみついた言葉であることが見て取れた。
「先輩、思い出すもなにも、今の感じなら問題ないと思いますよ」
「嘘も方便どす。せや晶墨はん、その〝先輩〟いうのはあきまへんなぁ。わての事は、〝親父はん〟言いんさい。――あぁ、お前さんは京都弁になる必要はないんやったなぁ……そやったら、親父〝さん〟でかまへんよ。ほれ、試しに言うてみ」
「いや……」
「ほれ」
「あの……」
「いうてみい」
「……」
「……さよか。そないに親父さん言うのが嫌なら、名前で呼ばはってもええどすえ? 宮ノ内は身元がバレてまうさかいにあかんよって……せやね、〝芦屋〟はどない?」
 その一言に、晶墨は大きく顔を歪ませた。
 榊は貼り付いたような笑顔を向け、晶墨に詰め寄る。
「あほやねぇ。そないな顔するくらいなら、さっさと親父さんて呼んだらよろし」
 晶墨が一歩後ずさる。
「……判りましたよ。勘弁してください〝親父さん〟」
「ようできました。ほな、善は急げいいますさかい、遊んでおらんと出かけよか」
 それだけ言うと、榊はさっさと玄関へ向かう。その後ろを慌てて晶墨が追いかけた。
 少しして、玄関の方から距離を感じる声が聞こえてくる。
「晶墨はん、町に出たらわての前を歩きなはれ。ゴロツキの下っ端らしく頼んますよ。ほな根夢! 後で蝶紙飛ばすよって、あんじょうおしや」
「あっ、はい、いってらっしゃい! お気をつけて!」
 二人のやり取りに気圧されたまま呆けていた根夢が弾かれたように声を上げた。
 玄関の扉が閉まると、家の中は急にしんと静まり返る。
「あんじょう……?」
 不思議そうな顔で根夢が振り返る。
「うまくやれって意味だ」
「なるほど。……何というか、生き生きしてましたね榊さん」
「嫌味ったらしく生きてた頃の血でも騒いだんだろ」
「ところであの……芦屋って……?」
 根夢が恐る恐るあさきに訊ねる。
「ああ、おっさんが京都にいた頃の名前だ。こっち来る時に捨てた名だし、まあ色々あったから晶墨の野郎も思うところがあるんだろうよ。それをわざわざ言うんだからおっさんもタチが悪いっつーか」
「そうでしたか……」
「ま、俺達には関係ねぇよ。さーて、どうせ連絡来るまで暫くかかるんだ、部屋で休んでたらいいんじゃないか? まだ本調子じゃないんだろ? その……悪かったな昨日は」
「いえ……はい、そうですね、そうします」
 根夢が静かに居間を出ていく。
 その足音が聞こえなくなると、あさきは大きな溜め息をつき、大の字に身体を横たえた。
「めんどくせぇな人間って」
 そう呟くと、あさきはそっと目を閉じた。
 
・・※・※・・
 
 日が落ちたばかりの柳原の土手を、男が二人歩いていく。
 一人は大きな鯉の刺繍が入った黒い着物姿の若そうな男、その三歩ほど後ろには鼠色の着物に深川鼠の羽織を纏った初老の男。
 そして二人は揃って、口元だけを隠した布作面を付けている。
 上品そうに背筋を伸ばして歩く初老の男は、柔和な笑みを浮かべ、逆に前を歩く男は、見る物全て敵とでも言いたげに周囲を睨みつけ、前かがみの姿勢で歩いていた。
 そんな異様な二人に近寄る者はなく、往来の人々は目を合わせないようにすれ違っていく。
「これアキ、そないにきばらんでも、わてにちょっかい出すような者はここらにはおらんよ。それよか、シマ荒らしと思われたら面倒やさかい、ええこにしときや」
 その言葉に前を歩いていた男が立ち止まる。
「すいやせん親父さん。さっきから始終女が近寄ろうとするんで……」
「そりゃそうや、ここらはそういう場所やさかい」
「へぇ、そりゃそうなんですが……」
「なんやまだ緊張してはるんか? いい加減腹くくりや。ほれ、もう着くさかい」
 男が指差した河原の端には、錆付いたトタン屋根の粗末な小屋が見えた。懐から取り出した小さな紙にはその小屋を指し示す雑な地図が描かれている。
「本当に行くんですか……」
「ここまで来て何言うてはるん。それともなんや、わざわざ京都から出てきたわてに、恥かかせる気どすか?」
「いえ! そんな事は!」
「ならはよ行き。他のお客に取られてまうよ」
 小突かれるようにして再び前に進み出た若者風の男は、深呼吸を一つしてから小屋へ近寄っていく。
 所属の夜鷹は一通り出払ったのだろう、閉じられた木戸が自ら開く気配はない。
 二人の視線が一瞬絡み合う。
「交渉は私がやるから、お前は戸を叩くだけしてくれ」
 初老の男が耳打ちすると、若者風の男が頷き、戸を叩いた。
 鈍い音がリズムよく響く。
「ごめんください、こちらにおる娘はんに世話焼いてもらいたいんやけど」
 暫くの間の後、木戸がゆっくり開くと警戒した様子で目つきの悪い店主らしき男が顔を覗かせた。男は二人を見るなり眉間にしわを寄せる。
「不審な姿でえろうすんまへんなぁ。事情があって顔見せられませんのや。せやから吉原みたいちゃんとしたとこ、行くわけにもあかんよって、こちらに目の悪い娘はんおるって聞いてな――」
「あーわかったわかった、そんなん店先でべらべら喋られたらかなわん。入っとくれ」
 まくしたてる男の言葉を遮る様に、店主らしき男は大きく木戸を開いて二人を招きいれた。
 
「まったく、あんたらどこでアレの話聞いて来たんだよ」
 忌々し気に二人を見ながら葉巻に火を着ける店主に、初老の男は動じる事無く微笑む。
「わてらみたいな商いのもんに、そないな野暮な事聞かはるなんて、あんたも随分御身分がええな」
「ハッ、京都野郎のくせに随分真っ直ぐな物言いじゃねぇか」
「そやかて、ここまで言わんと、あんたらわからんのやろ?」
「あーあーそうだよ、こっちの人間はお前らと違って遊び呆けてるほど暇がねーんだ、悪かったな」
「呆けてるやなんて随分な……あぁいや、あきまへん。つい熱うなってしまうとこやった。わてら喧嘩しにきたんやおまへんよ。さっきも言うたけどな……」
「ああ、アイツだろ」
「名前はなんて言いはるん?」
「ねぇよ」
「はい?」
「ねぇんだよ。ちっせえ頃に拾ったはいいが、名乗りゃしねぇ、目も見えねぇ。そんな夜鷹なんて、いちいち名付けてやる必要もねぇ。ヤれりゃいいだよ」
「それはまた随分と……」
「ここはそういう扱いの宿だ。あんたらだってそういうつもりだろ? 二人で来てんだからよ。違げぇなら帰ってくんな」
 若者風の男が、僅かに眉を強張らせると、初老の男は小さく首を振り、ゆっくり口を開く。
「判りました。むしろ話がはようて助かります。ほな案内してもらいまひょか」
「ああ、だがアレに関しては先払いだ。これだけよこしな」
 そう言って差し出された紙きれを見ながら、初老の男は呆れた顔で店主を見る。
「こないに? 部屋持ち遊女より高いやないか」
「そら部屋持ちだからな。まして今日は二人なんだろ? 普通の値段なわけないだろうが」
「……そうどすか。まあええわ」
 男は懐から帯が付いたままの札束を取り出し、店主の前に出す。
「全部とっとき。そん代わり、お互いこれ以上の詮索はよしとこや。娘はんは奥やろ? 案内いらへんから、それでええぶぶでも買いいに行きなはれ」
 自分を無視して奥へ向かう男二人に呆気にとられつつ、しっかりと札束を握った店主が声をかける。
「おうおう、あんたら! アレにゃ何してもかまわんが、殺さんようにだけはしてくれよ」
 初老の男は振り返るとゆっくり頷く。そのまま奥の部屋へ向かいながら、袖に忍ばせていた蝶紙をそっと窓から解き放った。
 
 ――――続く

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