1章 巫山之夢《5》


 翌朝、さして広くもない居間で、寝夢、あさき、中川の三人はちゃぶ台を囲む。
 開け放たれたままの障子の向こう、台所からは食欲をそそる味噌汁の香りが漂い、程なくして榊が鍋を抱えて戻ってくる。
「すみませんね中川さん、台所お借りしてしまって」
「いや、むしろ助かりますわ。最近ろくなもの食べてなかったんで」
 苦笑いを浮かべる中川に、榊は呆れ顔で溜息をつく。
「だろうとは思いました。食器はこちらの部屋だそうなので、鍋のまま失礼しますよ」
 そう言って榊は、中川が鍋敷き代わりに置いてくれた新聞紙の上に鍋を下ろす。中身は味噌汁と言うよりは、芋煮や豚汁の様に具だくさんだ。
「傷みそうな物からあり物で適当に作らせてもらいました。米まで炊いている時間はないので、芋を多めに入れてあります」
「……先生、よくできた嫁さんみたいだな」
 人数分のお椀を出しながら中川が感心した様な声をあげる。
「だからお嫁さんが貰えないのでしょうね」
「はっはっは、違いねぇ」
 愉快そうに笑いながら、中川は自分のお椀に鍋の中身を移し、ついでに他の者達の分も順番によそっていく。
「榊さんは、生まれたばかりで両親を亡くした僕をここまで育ててくれたんです。だから……」
「おっと、そんな落ち込んだ顔しなさんな、揶揄おうってつもりじゃないんだ、これでも一応褒めてんだよ。男だって家事の一つくらいできなきゃこれから生きていけないしなぁ」
「そうですねぇ、中川さんも……この調子じゃお嫁さん、貰えそうにありませんからね」
「そりゃ余計なお世話だ先生」
 中川は困ったようい笑いながら頭をかく。
 そんな二人の様子を眺めていた根夢が、不思議そうに口を開く。
「榊さんと中川さんは、結構親しいんですね」
「ああ、そうだねぇ」
 そう言った後、榊は最後の一口を飲み干し、お椀を前に手を合わせ「ご馳走様」と呟き言葉を続ける。
「以前、ある太夫に中川さんの取材に付き合ってほしいって頼まれた事があってね」
「俺が妖物茶屋を題材に本を書いたときに、色々話聞かせてもらったんですわ。おかげさまで良い本が書けて、あの時は結構儲かったなぁ」
「へえ……」
 根夢が感嘆の声を上げると、榊は小さく咳払いをする。
「さて根夢、昨夜の診察について中川さんへ説明をしてあげなさい」
「あ、はい、そうでした」
 榊に促され、根夢は昨夜に行なった夢渡りについて説明した。
 狙い通りに対象の妖物が現れた事、美女ではあったが中川の見た顔とは確実に違う事、根夢達の存在を気付かれてしまった事。
 中川は黙って根夢の話に耳を傾け、時折考え込むような様子を見せていた。
 話し終えた後も、考えを巡らせていたのか、暫し間を開けて口を開く。
「先生の護符を貼った時点でお前さんたちの存在は気づいちゃいたんだろうから、そこは今更として……で、具体的に、一体どんな顔をしてたんですかね」
「それは……」
 根夢はチラリをあさきに視線を送る。当のあさきは、諦めた様な顔で眉を寄せる。
「俺に似てたんだそうだ」
「あさき君にかい? そりゃなんでまた」
「さぁねぇ」
「そりゃそうか……まあ、あさき君なら女性に変装しても美女に見えると言えば見えるかもしれないが」
「やめてくれ」
「はは、悪い悪い。……しかし、余計に判らなくなっちまったなぁ」
 三人の会話が止まる。これ以上話したところで答えが出る様子は無かった。
「恐らくだけどね」
 そんな三人へ、助け舟を出すように榊が声をかけた。
「件の妖物は、相手によって顔を変えられるんだと思うよ」
「なるほど……いや、けど先生そりゃ……」
「そう、普通に考えれば、いくら妖物と言えど自分の姿を何度もコロコロと変えるなんてそうそう出来る事じゃない。変化と言えば狐や狸の妖物が得意とする術だけど、彼等だって完璧に術を熟すとなると相当な訓練が必要なんだ。しかも、何にでも無限にとはいかない。まず自分が変化する物を細部まで完璧に想像し、創造しなければならないからね」
 榊の説明を根夢と中川は、時折頷きながら興味深げに聞いている。
「でもよ」
 腕組みをしながら聞いていたあさきが、口をはさんだ。
「狐や狸の化けたやつが、見る相手によって姿が違うなんてありえねーぞ」
 あさきの言葉に榊が頷く。
「そうなんだよね。狐や狸の変化は本人の身体その物が物理的に変わる。だから人によって見え方が違うなんてことは無いんだ。タイミング悪く尻尾が出てしまうなんてことはあってもね」
「おっさん、説明が長げえよ。つまり今回のヤツが使うのは変化じゃなくて暗示の類って事だろ?」
「恐らくはそうだ。すまないね長くて……いやぁ、話が長引くなんて私も年かな」
「もう五十手前だろ? 人間じゃ片足棺桶みたいなもんだ」
「棺桶は酷いんじゃないか? 人生五十歳だなんて今は昔の話だし、私もそこまで老け込んでるつもりはないんだけどね」
 中川は二人のやり取りを楽しそうに眺めながら、適当な紙に筆を走らせる。
「いやぁ、先生もあさき君も面白いね。今度先生らを主人公に小説書かせてもらおうかね」
「ははは、それなら根夢をお薦めしておきますよ。私なんかは前線から引退した身だからね、盛り上げるならこれからの世代にしてやってください」
 そう言って榊は逃げる様に朝食の鍋と食器を持ち、部屋を出ていった。
「そうか、そりゃまあそれで……うむ、面白い物が書けそうだ、よろしくな根夢君」
 不意に白羽の矢を立てられ、根夢は目を丸くする。その隣で、あさきは片眉を上げて威嚇していた。
「心強い番犬君も、物語じゃ良い役割をしてくれそうだ」
 あさきの威嚇もどこ吹く風で、中川は思いついた事を書き留めていく。
「そ、その話はまたの機会に! あの、妖物の話に戻りますが……」
 放っておけば診療どころではない方向へ話が進みそうだと、根夢は慌てて話を振りなおす。
「先程もお話した通り、今回中川さんの夢に現れ、害をなしている妖物は、暗示によって自分の顔を誤認させています。理由は定かではありませんが、単純に顔を知られたくないか……」
 根夢は様々な可能性を想定し、考えを巡らせ黙り込む。
「のっぺらぼうみてぇに、そいつ自体に顔が無いとか、よほど自分の顔に自信がない……いやむしろ自分の顔を知らない、なんてのもあるかもしれないな」
「いやいや、さすがにのっぺらぼうなんて強烈なヤツには、まだ出会った事ないですわ」
 話に割り込んで来たあさきの言葉に、中川は少し怯えた様子で言葉を返す。
 そんな中川に、根夢は安心させようと柔和な笑みを向けた。
「確かに可能性としてはのっぺらぼうも否定できません。ですが、のっぺらぼうはその〝無い顔〟を生かして人を驚かす妖物なので、今回のような事は考えられませんね。ただ……そうですね、自分の顔を知らないというのは十分にありえます」
「自分の顔を知らない……」
 根夢の言葉をかみしめるように復唱すると、中川は黙り込んだ。
「心当たり、ありますか?」
「ん……いやぁ、のっぺらぼうよりは知ってるかもしれねぇって思ったんだが……気のせいだな」
「そうですか……」
 残念そうに眉を下げた根夢の肩を、台所から戻ってきた榊が軽く叩く。
「まあ、そういった事も含めて、色々聞きに行ってみようって話だよ、根夢」
「ん、なんだい先生方これからどっか行くんですかい」
「ああ、たまもさんの所へね」
「へえ! そりゃいいね、何なら俺も……」
「駄目に決まっているでしょう。原稿が上がらないから寝不足だと言っていたのは、貴方ですからね」
 榊がぴしゃりと言い放つと、中川はバツが悪そうに頭を掻いた。
「そういう事なので中川さん」
 榊は満面の笑みで中川に向き直ると、普段使いしている小さめの薬箱から、紙袋を取り出した。
「いつもの生力補助薬、裨気湯ひきとうです。だいぶ回復されてるようですし、護符のある部屋の中で寝る分にはこれも出番がないと思いますが念のため。それから、夜の方が原稿が捗るのであれば、昼間にでも構わないのできちんと睡眠はとってくださいね」
「はは……先生に言われちゃしかたないやね。大人しくしてますよ」
 中川は榊から薬の袋を受け取ると、徐に部屋に貼られた護符を見上げる。
「あれ、剥がれると奴さん中に入れちまうんですよね?」
「ええ」
「そうか……いや、そうだな……ちっとばかし補強しておかねぇとな。この部屋風通しがいいから」
「そうしてください。さて根夢、そろそろお暇するよ」
 榊が立ち上がると、根夢とあさきもそれに続いた。
 玄関を出た引き戸の前で榊は振り返る。
「くれぐれも無理をせず、お仕事の方も頑張ってください。あまり担当さんを困らせないように」
「ああ、ありがとう先生。意地でも原稿は仕上げるさ」
 そう言った中川の前に、根夢は一歩踏み出す。
「そのためにも、一刻も早く原因の妖物を突き止め、討伐できるように僕も頑張ります。今後ともよろしくお願いします」
 頭を下げる根夢に、中川は柔らかい笑みを向ける。
「おう、よろしくたのむよ」
 三人はもう一度軽く頭を下げると、中川の家を後にした。
 
 ――――続く

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