1章 巫山之夢《16》

 薄く開けた窓から差し込む月明りが、行灯の柔らかな灯りに溶け込む。
 浴衣姿で布団の上に座り、猫の姿で膝に乗っているアズキの背中を、寛いだ様子で撫でていた。
「根夢、ちゃんと寝られそうか?」
「ええ、いつも通りお香も催眠作用入りで作ってありますし、気持ちも安らいでます。今にも眠れそうですよ」
「そりゃよかった。でもまだ寝るなよ」
「勿論ですよ」
 背中を撫でられながら、膝の上でアズキが大きな欠伸をした。
「お前もまだ寝るんじゃねーぞ」
 あさきに向けられた翡翠色の瞳が、不機嫌そうに半月型に変形する。
「怒んなって。可愛くねーぞ」
 ふいっとアズキが顔を背ける。
「で、アズキはコレ無くていいのか?」
 根夢の左手中指とあさきの右手中指には夢渡り中の命綱となる紐が結ばれている。
 あさきはその紐を僅かに揺らしながら根夢に問いかけた。
「アズキは、顔を知ってる相手なら好きなように夢に入り込めるそうです。さすがに中川さんの事は知らないので、僕が眠ったら追いかけてもらう事にしました。お香の効果でアズキも中川さん側の夢に行くことも出来るんですが、安全面を考えると僕と連動した方がいいかと思って」
「確かにな。偉いぞ、ちゃんと考えたんだな」
 あさきが目を細めて根夢の頭を撫でる。
「だから、子供じゃないんですから」
「子供じゃなくたって別にいいだろ頭撫でるくらい」
「開き直りましたね」
「俺はやりたいようにやるだけだ。鬼だからな」
「便利ですね、鬼って言い訳」
「だろ?」
「ちっとも羨ましくはないですけど」
「そりゃ残念――おっと」
 ふわりと窓から白い蝶が舞い込んだ。よく見ると、それは全身が紙で出来ており、模様の様に文字が羽根に書かれている。榊達が飛ばした蝶紙だ。軽やかに羽ばたかせ、根夢の周りを飛び回る。
 根夢はアズキから手を離すと前に差し出した。
 すると蝶紙は根夢の掌にとまり、ゆっくり羽根を開きると、そのまま動かなくなった。
 開かれた羽根には、止め・跳ねを意識したお手本のような文字で〝対象発見。直ちに作戦開始せよ〟と書かれていた。
「硬ってぇ字だな」
「でも榊さんの字より見やすくて助かりますよ」
「それは間違いねぇ」
 あさきが喉を鳴らして笑う。
「じゃあ、行ってきますね。アズキ、よろしく」
 根夢はアズキの頭をそっと撫でると、布団に身体を横たえ目を閉じた。
 
・・※・※・・
 
 そっと瞼を開く。
 正確には身体は眠っているため、文字通り瞼が開くわけではない。しかし眠りから覚めた時と同じ感覚で、根夢は夢の中で瞼を開ける。
 視界は暗い。
 他人の夢に勝手に入り込むのだから、根夢の望み通りの視界になる筈はないのだが、それにしても随分と暗い。
 根夢は左手中指の紐を軽く引き、あさきに合図を送る。
 しかし、いつもなら直ぐに声が聞こえるのに今日は返事がない。
 もう一度紐を、今度は強めに引いてみる。
 ――お……いたか――
「あさきさん? ちょっと声が……」
 ――あ? あーあー聞こえてるか? ――
「あ、聞こえました。一瞬繋がり悪くて。アズキはどうです?」
 ――ああ、身体は眠ったみたいだからそろそろそっちに出てくるんじゃねーか? で、どうだそっちは――
「ちょっと暗いんですよね。中川さんの眠りが深いだけだとは思うんですが……」
 ――そうか。まぁ、とりあえずアズキ待ってから動けよ。少しでも普段と違うなら尚更だ――
「そうですね――あ」
 ――ん、どうした? ――
 暗闇の中遠くに弱々しい光が灯った。
 消えかけの蝋燭の様に、小さく揺れている。
「小さい光が見えるんです。ちょっと行ってみます」
 ――おい、アズ……てって――
 途切れがちになるあさきの声に気付いてか気付かずか、根夢は気にする様子もなくその光に引き寄せられていった。
 
 暗闇の中でただ一点の灯り。
 弱々しく揺れ、今にも消えそうな灯り。
 随分歩いた様な気がするのに、近づいている感覚がない。
 ふと足を止める。
 大きさは変わらない。
 数歩歩いてみる。
 変わらない。
 再び、今度は注意深く灯りを見つめながら歩く。
 すると僅かに灯りが縦に揺れた。
 
 動いている。
 
 灯された炎が、固定され、ただその場で揺れているのなら、横にしか揺れない筈だ。縦に揺れるなどあり得ない。
 縦に揺れたという事は、ソレは根夢の動きに合わせ、移動していると考えるのが妥当だ。
 根夢は、そっと中指の紐を引く。
 期待は虚しく、しかし予想通り、紐からの反応は何もない。
 アズキの気配も勿論ない。
 根夢は帯に刺した夢幻刀に手を添え、ひとつ深呼吸をする。
「何者ですか」
 その声は溶けるように闇にきえていく。
 返事はなく、代わりに灯りはみるみる遠ざかっていく。
 灯りがまっとうな物ではない事くらい判っていた。しかし、この先に中川が囚われている可能性が高いと考えれば、放っておくわけにはいかない。
 根夢は夢幻刀に手を添えたまま、灯りを追う。
 すると程なくして突然、目の間にに小さな書斎が姿を現した。
 壁は無く、書棚や筆机、行灯などがこじんまりとまとまっている。
 その筆机の前に男が一人、背中を丸めて座りこんでいた。くすんだ赤、赤錆色の色羽織を袖を通さずに掛けている。
 根夢の気配に気付き、男が振り返った。
「中川さん」
 根夢が声をかけると、男は眉を下げて小さく笑う。
「やっぱり来てくれたか」
「当然ですよ。貴方は僕の患者です」
「そうだよね」
 中川は根夢に向かい胡坐をかき直すと、僅かに俯く。
「ここに来る時、小さな灯りに案内されたんです。あれ、何でしょうか?」
「ん? いやそんなもんは知らないが……まあとりあえず、座ったらどうだい?」
 そう言って中川は根夢の足元に座布団を差し出した。
「そう……ですか」
 夢は生と死の狭間だ。行き場のない小さな魂が、他人の夢に迷い込むのはそう不自然な事ではない。そういった魂がたまたま生者の匂いに釣られてこの暗闇を行ったり来たりしているだけなのかもしれない。
 そう結論付けると、根夢は中川に促されるまま膝を折る。
 根夢は真っ直ぐ中川を見つめ、口を開く。
「中川さん、単刀直入にお伺いします。彼女の為に死ぬつもりですか?」
 その言葉に、中川は背を向ける。
「中川さん!」
「大丈夫さ根夢君。俺は別に死ぬつもりで自らここに来たわけじゃないよ」
「でも、このままここに居たら中川さんの身体は保って二日です。もしここで彼女と交わるのであれば生気も奪われ、期限は更に短くな――」
 言葉の途中で急に振り返った中川の手から抜身の懐刀が飛び出してきた。
 咄嗟に夢幻刀の鞘でそれを受け止めるも、導線が逸れただけの切っ先は僅かに根夢の肩を裂いた。
 しかし裂かれた肩からは血は流れず、刀傷の形になった部分がただ〝無くなっていた〟。
 痛みは無いが、その代わり傷口を中心に左腕自体の感覚が妙に朧げだ。
「やれやれ、根夢君なら弱そうだから、作家の俺でもどうにか出来るかと思ったけど、案外手練れなんだね。……あの番犬君に沢山仕込まれたのかな?」
「どうして」
 根夢は飛びのく様に立ち上がり、中川から距離をとる。
「どうしてって、君が行った通り、彼女の為だよ」
 狼狽する根夢に憐みの目を向けながら、中川も立ち上がる。
「悪いね根夢君。君自身に対しては恨みなんかないんだが……俺に夢渡りなんてしたのが失敗だったね」
 にじり寄る中川と一定の距離を保ちながら根夢は夢幻刀に手を添える。
「抜いた方がいいよ。ここは俺の夢だ。しかも夢だと判っている夢、明晰夢。つまり俺の自由になる世界だ。夢に詳しい君なら判るだろう? 間合が狭い懐刀だからって甘く見てるとすぐにやられちまうぞ」
 そう言って中川は肩に掛けていた羽織を足元に脱ぎ捨てた。
「やめてください中川さん。僕は貴方を斬る為にここに来たんじゃありません!」
「そうかい。じゃあ大人しく斬られてくんな!」
 飛び込んでくる中川を前に、根夢は夢幻刀を握った。
 静かに鞘から抜かれ、姿を現した刀身は闇に溶け込むような漆黒。
 そして、青にも紫にも見える不思議な光を帯びていた。
 
 金属同士がぶつかる硬い音が耳をつんざく。
 挨拶代わりの一太刀を弾かれた中川は、懐刀を握りなおし軽く腰を落とす。
 根夢は震えるような溜息を吐きながら右手で夢幻刀を構え、感覚の鈍い左手を腰に添えた。
 その左て中指に結ばれた紐は、相変わらず反応のないまま闇に溶け込んでいた。
 
 ――――続く

◆お知らせ◆

は~~~~やっぱり終わらない! 終わらないね!!
デザフェスの抽選通ったので、またちょっとデザフェス休載します。
本当はデザフェス前に完走して本置きたかったけど……むりっすね。
という事で、こんなところでおあずけになりますが、次回更新は5/1になります。
あ~連載開始から一年経ってしまう~~~! なんて事!!

デザフェスの告知は改めてします。
それではまた、デザフェス後に~

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