1章 巫山之夢《8》


「玉藻前……え、本物ですか?」
「さあ……どうだろうね?」
 目を丸くし身体を離す素振りを見せた根夢にしな垂れかかり、たまもは五本の尾をわざとらしく散らしながら揺らす。
 その尾を見つめながら根夢は数えるようにして首を動かしていた。
「……あれ?」
「ん~どうかしたの?」
「五本……? 玉藻前って確か尾は……」
「んふふ……どうだったかしらねぇ」
 甘ったるい声を発しながら、たまもの尾が、根夢の背中を撫でる。
 布越しに伝わる尾の質量と体温は、心地いい良さとむず痒さが混在する妙な感覚だ。
 根夢は身体を強張らせ、尾から逃れようと身を捩る。
「あらあら可愛いねぇ。こういうのは不慣れ……?」
 離れようとする根夢の手を掴むと、たまもは根夢の耳元に唇を寄せる。
「〝いつも〟こんなに初心なのかしら……?」
 触れてしまうのではないかというくらい寄せられた唇から根夢の耳に届いた音は、根夢の思考を深い海に沈めるかのように、甘く重い音色をしていた。
「た、ま、もさん」
 不意に咳払いと共に、榊の声が部屋に響いた。
 はっと顔を上げた根夢は、混乱した様子でたまもからそそくさと身体を離す。
「まったく、私を前によくそこまで出来ますね」
「あらぁ、焼きもち? 最近ちっとも上がってくださらないのに良く言うわ」
「そいう言う意味で言ってるんじゃないよ。私はそのこの親代わりだと言っているだろう。親の前と思ってほしいね。それに、私だってそもそも別に……」
「いいじゃない、理由はともあれ、お客さんをしてくれるならそれはそれとして、大歓迎よ。――さて、と」
 たまもは根夢から離れて姿勢を正し、座りなおす。
「まさか根夢君を紹介するためだけに来たんじゃないんでしょう? 聞くわよ」
 根夢の耳元で囁いた声とは打って変わり、凛とした声が部屋に響く。
 すると榊は小さく咳払いし、これまでの経緯を説明し始めた。
 
  ・・※・※・・
 
「……そう、中川さんそんな事になっていたの」
「中川さんの事、ご存知なんですか?」
「ええ、そりゃあ。あの方が書いた妖物茶屋の小説、うちの店が元だから」
「ああ、榊さんも取材に付き合ったっていう」
「そうそう、その時の榊先生ね、そりゃ熱心にお話されてて、中川さんも随分と気に入ったみたいで……そのまま三人で床入れだったわねぇ」
 そう言いながらたまもは榊の隣に座りなおす。
「えっ」
 根夢がこれ以上ないくらい目を見開いて榊を振り返る。
「誤解を生む良い方しないでください。少し酔いが回っただけじゃないか……」
「あらぁ、私の床に入ったのは事実じゃない。可愛かったわよ」
 榊は頭を抱えながら大きなため息をついた。
「榊さんが酔って眠ったってだけでも驚きなんですが……」
「うふふ、久しぶりに薬師の歴史に興味持ってくれる人と話せて嬉しかったみたいよ。可愛いでしょう?」
「え……あの……」
 たまもに頬ずりされ、頭を撫でられ、さしずめ子猫かなにかの様に扱われながら渋い顔で黙り込む榊を、根夢は唖然と見つめる。
「それで、いい加減続きを話してもいいかな」
 榊が疲れた様な顔で言葉を挟んだ。
「あらあら、そうだったわね」
 そう言ってたまもは榊から少し離れて座りなおす。
「さて、まずこれだけは言っておくわね。中川さんのところに出るっていう妖物、遊女のように派手な着物を着ていたそうだけれど、自信を持ってうちの娘たちじゃない事だけは断言しておくわ。ついでに、妖物茶屋はここ以外にはあと一軒だけあるけれど、そっちはわちきの旦那がやっている店だし、蔭間専門で娘は居ないから違うわよ」
「大した自信だね」
「榊先生、揶揄わないで頂戴。怒るわよ」
「失礼。揶揄うつもりはないのだがね、一応その根拠を根夢に説明してあげておくれ。なにせ色街の初心者だからね」
「まったく……」
 たまもが呆れ気味に眉を下げて榊を一瞥した後、根夢を真っ直ぐ見つめて柔和に笑う。
「あのね、そもそもの話なのだけれど、妖物茶屋にいる妖物は皆式鬼登録済なの。つまり、身体のどこかに刺青をしている。最近はほら、目立たない所にしても良い事になってきてるけれど、ウチみたいな商売はする事が〝コト〟でしょう? 安全を判りやすくする為にも、あえて目立つ所に刺青入れるようにしているの。だから例え夢枕に立ったとしてもそれは変わらずよ。根夢君も、中川さんも刺青なんて見ていないのでしょう」
「そう……ですね。僕は一瞬しか見ていませんが中川さんはその……」
「寝たのよね。その娘と」
「恐らくは……」
「恐らく、じゃないわ。間違いなくよ。ちょっとお話しただけで生気を取られるなら、根夢君も榊先生も今頃この場でおねんねよ。だからね、うちはお客さんが体調を崩さないように、うちの娘達にしっかり言い聞かせているし、床入れの後は裨気湯ひきとうで作った飴をお出ししたり、お品書きに注意書きを載せたり、定期的に薬師の先生に来ていただいたり、安全面には物凄く気を使っているのよ」
 たまもはそこまで一気に喋ると、袖から煙管を取り出した。指先で煙管の先に触れると、小さな青い火が一瞬灯り、消える。
 たまもの小さな唇が煙管の吸い口を咥えると、火皿には青白い灯りがぼやっと光る。
 ふう、と音もなく吐き出された煙は、不思議な事に部屋に広がる事無くたまもの身体を包み、そのまま消えた。
「そんなうちの娘たちが、体調を崩すまで生気を吸う様な事するはずないわ。まして店をわざわざ抜け出して、あろうことか中川さんをだなんて。……だいたい榊先生だって、うちの娘達についてはよくご存じでしょう? いつも裨気湯飴を持ってきてくださっているのだから」
「勿論だよ、発破をかけるような事言って悪かったね」
「本当よ、酷い人だわ」
 ぷいっとたまもが榊から顔を背ける。
「あまり意地悪が過ぎると、もーっと恥ずかしい事バラしちゃいますからね」
「わかったから、そのくらいにしておくれ……」
「そう思うなら、たまには上がって頂戴な。美味しいんですもの先生の〝気〟」
 たまもの言葉に榊は大きなため息をつく。
 そんな二人の様子を眺めながら、根夢は居心地悪そうに苦笑いを浮かべた。
「根夢君も……今度、きっと……ね?」
「えっ、いやあのっ……!」
 いつの間に隣にいたのか、気付けば腕を抱きかかえられ、更にたまもの柔らかい尻尾が根夢の腰に絡みついていた。
「やめなさい、たまもさん。貴女の事だ、視えていてやっているのだろう?」
「うふふ、こわ~い鬼さんの話かしら? ええ、視えているわ。そうねえ……今アイツ、団子屋で不貞腐れてるわよ。……帰ったら大変でしょうねぇ。でもいいじゃない、自分は顔も出さずに大事な子をこんな場所にフラフラと行かせちゃった罰よ」
「大変な目に遭うのは主にその子なんだがね」
「あらやだ、それはそれで視せてもらおうかしら」
「やめなさい。まったく……嫌ですからね私の生きている間に狐と鬼の妖物大戦争だなんて」
「あら、殺りあうつもりなんか無いわ。大事なお友達ですもの」
「向うはそうは思っているか怪しいけれどね」
「残念よね。せっかくの長生き同士なのに……」
「八割がた貴女が彼を揶揄うせいですよ」
「うふふ」
 たまもは愉快そうに笑い、煙管を咥える。
「あの……」
 二人のやり取りを不思議そうに眺めていた根夢が口をはさむ。
「あさきさんの話……してます?」
「ええ、そうよ。アイツとは、付き合いは結構古いの」
 たまもは煙管から吸い込んだ煙を吐き出し、悪戯っぽく根夢に笑いかけた。
「そ、そうですか」
 根夢は考え込むようにして手を顎に当て、俯く。
 たまもはその様子を眺めながら、眉を寄せて微笑んだ。
「その様子だと、まだだんまりなのね、あの馬鹿鬼は。……ねぇ、根夢君が知らない彼の事、教えて欲しい?」
 たまもの言葉に榊が焦った様子で目を丸くする。
 そんな榊を横目に、根夢は小さく首を振った。
「いえ。まだ話してくれないのは僕が未熟なんだと思います。それに……そう言うのはやっぱり本人から聞きたいですし」
「そう。本当に良い子ねぇ……食べちゃいたいわ」
 妖しい笑みを浮かべたたまもが、根夢の唇に触れようと人差し指を立てて手を伸ばす。
 しかしその手は寸前の所で根夢の手に掴まれた。
「止めろ」
 普段の根夢からは到底出ないような強い口調で言い放ち、たまもを睨み付ける根夢の瞳は、伏せられた長い睫毛の奥で僅かに金色を帯びていた。
「あらお目覚め? 良い顔するじゃない……好きよ」
 たまもの唇がニィっと横に細まった。
「やめなさい二人とも!」
 部屋に漂う不穏な空気を一喝するように榊が声を張り上げる。
 その声にハッと振り返った根夢の瞳は、いつもの様に明るく真っ直ぐな光を取り戻していた。
「たまもさん、今のは褒められる事じゃないね」
「ごめんなさい、つい昔の悪い癖が出てしまったわ。こんな事だから尻尾が減らないのよねぇ」
 榊が鋭い視線をたまもに送と、当人は笑いながらペロリと舌を出し、誤魔化して見せた。
「尻尾が……減る……。あっ、そうかそれで九尾じゃないんですね」
「そう。一般的に妖狐の最終形態は九尾だけれど、行いの良い善狐はそこから尻尾の数が減っていくの。年齢が千を超えて神格化すると天狐なんて呼ばれて、尻尾は四本になるのよ。……私はほら、ちょーっと悪さをしていた時期があるからなかなかね。……それにしても、よく知ってるじゃない。薬師でもあまり知らない人の方が多いのに。さすが榊さんのお弟子さんね」
「いえ……ああ、それじゃあ本当に玉藻前なんですね」
「ふふ、それは断固として秘密」
「そんなバレバレなのに……」
「いいのよ、実際はどうあれ秘密ってされたら気になるでしょう?」
「ま、まあ……それはそうですけど」
「それに、秘密が一つだなんて私一言も言ってないわよ」
 そう言ってたまもは耳を忙しなく動かしながら茶目っ気たっぷりに笑って見せる。
「だから……私の秘密、教えて欲しかったらまた来て頂戴。今度はアイツも一緒に。ね?」
「あはは……善処します」
 根夢が苦笑いを見せつつ帰り支度をし始めると、たまもが空を見つめながら根夢の手を掴む。
「ああちょっと待って、やっと見つけたわ」
たまもは口に手をあて、哀し気に眉間にしわを寄せる。
「ごめんなさいね、帰らせるような空気を作ってしまったけれど、話す事はまだあるの。――原因の妖物、見つけたわよ」
「え……」
「お話しながら、千里眼でちゃーんと探してあげていたのよ。感謝して頂戴よ」
 たまもが煙管を咥え、ゆっくり息を吸い、目を閉じる。
 目を閉じたまま煙を吐き出し、煙が途切れると、たまもは小さく溜息を吐いた。
「ちょっと可哀想なこだけどね……見つけ出して、しっかり処理してあげてね……」
 たまもは煙管を懐にしまうと、姿勢を正して根夢に向き直った。
 
 
 ―――続く

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